うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

劇症の痛み止めとしての宗教

 

はじめに

 

宗教で身持ちを崩す人がたくさんいるため、

本来の宗教の役割を考えてみました。

 

宗教に「入る」

 

たぶんみなさんは「宗教』と聞くと悪いイメージしかないと思います。

 

戦争の原因になる。

一族郎党一文無しにまで追い込まれる

「殉教」してしまう

 

などなど。

 

宗教に「入る」ことのデメリットは数知れません。

 

しかし、本当に宗教は「入る」ものなのでしょうか?

 

本来宗教は「信じる」ことで成り立っていたはずです。

それがいつの間にか何らかの宗教団体に所属していなければ、

宗教を信じていない。

 

すなわち、宗教に「入る」ことが宗教を「信じる」ことと混同されているのです。

 

そこで私は本来の宗教の役割である

 

「どうしようもない状況でのすがりつくあて」

 

を強調したいと思います

 

宗教とは心の麻薬である

 

どうしようもない状況は生きていれば山程あります。

 

会社で評価されない。

志望した学校に入れない。

家がない。

食べ物がない。

寒い。

暑い。

苦しい。

 

などなど。

 

生きていれば必ず生きることを諦めたくなるほどの苦痛が生じます。

 

そんなときに役立つのが宗教です。

心の拠り所、体を大地に縛り付けるための鎖。

それが宗教です。

 

例えば、自殺してはいけないということを信じるとします。

自殺をしてしまうと天国に行けないとします。

 

そんな場合あなたはさらなる苦しみに苛まれるでしょう。

しかし、死ななくなります。

 

天国を捨てるという苦痛が現世での苦痛を上回るようになります。

 

すなわち、急性の希死念慮(死にたいという気持ち)を宗教が力づくで押さえつけてくれます。

 

宗教の本来の役割はこのように

「どうしようもない絶望でも生きるための鎖」です。

 

だから、常用してはいけません。

常用してしまえば、そのすさまじい締め付けで心が砕け散ります。

 

宗教を乗り越えて、あの世すらも選択しなくなります。

 

だからこそ、宗教は用法要領を守って正しく運用する必要があります。

 

皆さんの前にも極限の困難が訪れる可能性は常にあります。

そのときになってからでは遅いのです。

宗教とはこの世に自分を縛り付けるための鎖なのですから。

 

信仰内容よりも信仰していることが重要

 

たぶん皆さんは宗教について勘違いしていると思います。

信じることで生の苦痛を押さえつけるものが宗教です。

 

だから、木彫りの人形でもイワシの頭でもプラスチックでできた人形でも

空飛ぶスパゲッティでもなんでも信仰の対象になりえます。

 

重要なのはそれが自分をこの世に縛り付けてくれるかどうかです。

その役目を果たせていないものは宗教とは言えません。

 

宗教を信じながら死ぬことを殉教というでしょう。

そのような宗教は宗教としての役割を果たすことができていません。

あえて言うならば、宗教に殉教はありえません。

それは宗教に「入る」ことでのみ起こる特殊な状況です。

 

なので個人的にはそういう宗教を名乗るものが宗教だと思われていることが

嫌だなあと思います。

 

死ぬための宗教じゃ意味がないじゃないですか。

 

困ったときにしか神に頼ってはならない

 

「困ったときの神頼り」という言葉があるじゃないですか?

あれは非常に理にかなった言葉なのです。

 

常に宗教を信じることは麻薬を常用することと変わりません。

だから、緊急時に死ねない理由を作るためだけに宗教を活用する必要があります。

宗教の役割は本来それだけのはずです。

 

しかし、現在はそうではありません。

 

現在の宗教のほとんどはそのような痛み止めとしての本来のあり方から離れています。そのためにありとあらゆる宗教における不都合が生じます。

 

政治と結びつきます。

経済に結びついてきます。

あなたの心そのものを蝕むかもしれません。

 

そのようなあり方は本来の宗教から外れています。

 

あえて言うならば、「死ねない理由」のことを宗教といいます。

死ぬための理由は宗教でなくて、別の何かによって引き起こされます。

 

安全への欲求や恐怖への敗北、そして痛みへの敗北。

死ぬための理由は宗教から生じたものではなく、

何か別のものが宗教の笠をきているだけのものです。

 

私は宗教を一つの役割に縛り付けたいと思います。

宗教の役割が私達を縛り付けることであるならば、

私達も宗教を縛り付ける必要があるはずです。

 

だからこそ、今回の記事を書いて皆さんに宗教に関する混乱を解いてほしいです。

宗教の内容はどうでもいい、大事なのは宗教を信じているという態度だけである。

それが今回お伝えしたかったことの全てです。

 

まとめ

 

今日も体調が悪いので、痛み止めに頼ってみました。

 

宗教はないと精神の脆弱性を高めます。

緊急時のおくすりのようなものです。

 

普段から緊急時に備えるために何か自分をこの世に縛り付けるための手段を用意しておきましょう。

 

ですが、宗教を常用すると悪影響が非常に大きいのでみなさんも用法要領を守って、

正しく活用してくださいね。

 

宗教を活用するのは絶望して死にかけたときだけですよ?

これだけは忘れないでほしいです。

 

みなさんが絶望にとりつかれた時、あなたの信じるものを思い出してください。

そして未練を感じてください。

そうしていただければ、私は満足です。