うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

暗闇でつまづいて 自分の本当の目標はなにか

 

 

はじめに

 

やりたいことをやりたい、ほうじょうです。

 

今回は

前回の3か月計画を修正する記事です。

 

utakatanoatosaki.hatenablog.com

 

勉強を進めていくうちに本当にやりたいことが何か見えてきたためです。

 

目標を達成するための手段は多様

 

私は最近目標達成ができなくなってきました。

体調不良も原因の一つですが、英語だけはなぜかできていました。

ということは何か勉強したくない理由があるのではないか、

原因があるのではないかと考えるようになりました。

 

そこでその原因は何かを考えてみました。

その原因とは手段が自分に合ってないということです。

 

数学の勉強は特に自分に合わないことがわかりました。

数学の勉強は抽象度が高く、何の基礎研究をしているのかがわからないためです。

 

そのため、私は数学の勉強をなぜしたいのかを考えなおしました。

物理や生物を深く理解するための手段として数学を身に着けたい。

そう考えていることに気づきました。

 

私にとって数学は目的ではなく、手段だったようです。

本当にやりたかったことは物理学と生物学でした。

そして、生物学を学ぶための手段としての化学でした。

 

自分に合わない手段は変更する

 

というわけで自分の目標に合わせて計画を変更しましょう。

よくよく考えてみると、私の目標はあまり明確ではありませんでした。

資格を取るつもりもありませんし、英語のTOEFLもまとまったお金ができるまでは

受けられません。

 

ということは私は何か別の目標を持っていることになります。

 

その目標はいったい何なのでしょうか?

 

それは人間が動物でありながらも、動物であることに逆らう方法を身に着けることです。

 

特に怒りのコントロールやありとあらゆる悪に対する正義感のコントロールです。

このようなコントロールに挑んでいる人は宗教家以外にはいません。

宗教家ですらもできない人が多いでしょう。

 

これを厳密に誰でも利用できる形で文章にすること。

それが私の目標です。

 

そのための手段として私は生物学を学ぶ必要があります。

さらに倫理学を学ぶ必要があります。

 

理由は生物としての私のベースを知りたいということ。

つまり、生物学の中でも特に人間における生物学、人体生理学や認知心理学などを私は学びたいと考えています。

 

そして、倫理学はそのような人体生理学や認知心理学に逆らうための手段です。

 

このように私の一番やりたいことは人間の怒りをコントロールするために

倫理を身に着けることです。

すなわち、悪に対する怒りのコントロールの手段を考案したいと考えています。

 

そのための手段として哲学を、つまり倫理を学んでいました。

デカルトは割と目標から外れています。

面白いのですけどね。

 

目標を明らかにすると……

 

以上のように目標を改めて明らかにしました。

すると自分がなぜ哲学の『方法序説』にこだわる必要があるのか。

数学を学ぶ必要があるのか。

英語を学ぶ必要があるのか。

わからなくなります。

 

計画に大幅な修正を加える必要があります。

 

私が望んでいること、それは怒りのコントロールです。

すなわち、一番勉強するべき分野は心理学でしょう。

特に認知心理学、動物行動学の2種類をベースに

倫理を学ぶことをする必要があります。

 

そして、他人も怒りをコントロールできるようになってほしい。

そのためには文章や言葉にして、他人に伝えられるようにならなければなりません。

 

怒りというのは生理的な衝動です。

しかし、そのような怒りがあるがゆえに争いは生まれます。

有用な争いも無用な争いも生じます。

 

とりあえず無用な争いかどうかを判断するだけの方法が私はほしいです。

 

ついでに思い出しました。

そのためになんとなく勉強していない分野を勉強しておく必要があるだろう、と。

そして、今まで勉強してきたことを確認しなおそうと考えていることを思い出しました。

これは自分の目標からは正直に言って外れています。

単純に教養というものを身に着けたいなあというふんわりとした理由から勉強を始めました。

 

だから、私は哲学・数学・英語を勉強しようと考えたのです。

 

ゆっくりと着実に

 

しかし、これは回り道をしていることになります。

私が本来勉強したいのは

生物学・特に人体生理学

心理学・特に認知心理学

社会学・特に正義や法制度について

倫理学・正義や法にかかわらない部分もひっくるめたすべての生物に対する反抗

 

以上のようなことを学びたいです。

 

ちなみにいうと英語はどのような学問を学ぶ上でも役に立つため学ぶ必要があります。

しかも、できるだけアカデミックな英語を身に着けたいと思います。

そのため、TOEFLの勉強を継続するのは確定です。

ついでに日本語をより深く理解するために別の言語を利用するのはよい方法です。

言語を比較することで言葉の意味は分かりやすくなります。

 

どれだけつらくてもリスニングだけはしようと感じるので、

英語の勉強は大丈夫でしょう。

 

問題は哲学と数学です。

 

本当にやりたいことって何?

 

私は本当に哲学を学びたいのかと聞かれれば、

今は必要がないと答えます。

学びたいといえば学びたいのですが、それは今ではない。

それが答えです。

 

最近、私は哲学の勉強をしていなかったのですが、

理由は簡単です。

 

哲学はすべての学問の基礎研究、すべての学問をある程度頭に入れておかなければ

わかりづらいためです。

というかわかりません。

すべての学問を身に着けていることを哲学は割と前提にしています。

 

さらに数学。

数学は明確に勉強したくありません。

単純に体質に合いません。

 

しかし、物理や生物などは勉強したい。

直ちに役に立つからです。

 

ちなみに生物学と心理学は隣接分野だと思っています。

生物学を学ぶことは間接的に心理学を学ぶことだと思います。

 

以上を踏まえて、勉強計画を変更します。

 

勉強計画改定版

 

数学は物理や化学から学ぶ

 

そのために、高校の物理や化学から学びなおしたいです。

こちらならば、学ぶ意欲がわくと思います。

 

哲学は方法序説に限らない

 

哲学書を最近新しく買ったので、そちらのほうを読みます。

特に『ツァラトゥストラはこういった』は読んでいきたいです。

 

英語はそのままTOEFLの勉強を継続します。

 

まとめ

 

今回は計画の遂行に支障がでたため、計画に変更を加えました。

PDCAのA に当たります。

 

計画を修正しないと本当にやりたいことに対して効率的な道を通ることはできません。

目標は自分の心から抽出しましょう。

 

本当にやりたいことは心身ともに限界でも自然にやろうと考えます。

私の場合は英語でした。

 

つまり、極限状態でもやりたことこそ本当の目標です。

 

今回私がわかったのは

私は自分の怒りをコントロールしたい。

そのための手段を手に入れたい。

そして、手段を手に入れるための手段として勉強がしたいわけです。

 

これぐらい間接的なわけです。

別に勉強である必要はありません。

 

怒りをコントロールできさえすればいいわけですから。

 

読了ありがとうございました。