うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

日本人が無宗教である3つの理由 日本人は縛られ方を自分で決める

 

おはようございます、ほうじょうです!

今日も元気に宗教の話します!

元気に宗教の話するのもおかしい気がしますが……。

 

さて、気を取り直して、今回考えるのは

「なぜ日本人は自分を無宗教と言ってしまうのか」

です。

 

実は日本人ってめっちゃ信心深いんですよね。

ご飯を食べる前は手を合わせていただきますといいます。

これってよくよく考えてみると、完全に宗教儀礼だと思いませんか?

 

ほかの宗教と違うのは感謝の対象が神様ではなくて、食べ物自体か食べ物を作った人に対する感謝をしているということです。

 

それで日本人にとっては宗教はどうでもいいんです。

だって、あえて意識する必要はないんですから。

 

というわけで、実は日本人の宗教観は無神論とは対極の位置にあります。

ですが、海外の人からはそうは見られません。

 

日本人は無宗教ではなく、ものすごくあいまいなアニミズムだと思います。

それゆえに、特定の宗教を信仰する必要がないし、

信仰を決めることに拒否感があります。

 

というわけで、今回は日本人にとっての宗教を

現世利益の視点から論じてみたいと思います。

要するに日本人の宗教観は逆に合理的なのだということを主張します。

 

日本人にとっての宗教は幸せになるための手段の一つであり、

苦しいものを受け入れるような不合理なことはしません。

 

一応前置きとして現代日本を前提に話してます。

戦前の日本は考慮しません。

 

それでは、本文へどうぞ!

 

 

 

日本人は特定の宗教が大嫌い!

 

日本人は特定の宗教・宗派に対して拒否感を持っています。

それはもともと自分が行ってきた行為にケチをつけてくるからです。

新興宗教が嫌われるのは、そこにも原因があります。

 

財産をすべて吸い取られるとかそういうことも一因ですが、

そもそも宗教で縛るということ自体必要ないんです。

 

 

そして、必要がない余計なものを利用するほど日本人は非合理ではありません。

だから、新興宗教が嫌いなのです。

 

日本人にとっての宗教は手段にすぎない

 

宗教はそれ自体が目的とされていますが、日本人にとっては全くそうではありません。

真逆です。

宗教が自分の生活を豊かにしてくれるならば、いくらでも信じます。

クリスマスやバレンタイン、ハロウィンなどなど、いろいろなお祭りがありますが、

それは楽しいから受け入れられているだけです。

 

決してそこにある宗教的意味を理解していませんし、理解する必要もないと思っています。

 

現世利益がないものを信じるほど日本人は非合理ではありません。

 

日本人が無宗教である3つの理由

 

さて本題に移ります。

 

特定の宗教を信じることのデメリットのほうが大きい

 

日本人は傾向としてアニミズム自然宗教を頼りにしています。

パワースポットとか巨大な石とか老木とか、

そういったものを大切にする習慣があります。

 

そういった信仰と自覚されない信仰を邪魔されるのをものすごく嫌います。

私は嫌いです。

アニメなどで森林伐採に怒りを現すキャラクターをご覧になった方も数多くいらっしゃるでしょう。

何度も何度も焼き直されているのです。

 

そして、日本人はそういった自然に対する畏怖を邪魔されるのがとても嫌いです。

だから、特定の宗教に帰依することを嫌いますし、新興宗教も同様の理由で嫌いです。

 

宗教が自分の基礎に食い込んでいる

 

日本人が無宗教である理由は宗教について考える必要が一切ないことも理由です。

キリスト教などですと、信仰告白などで自分がキリスト教を信ずると明確に自覚する機会があります。

 

ですが、日本にはそのような風習はありません。

必要がないからです。

 

無神論の発想がない

 

もう一つ、重要な視点として初めから無神論の発想がないことです。

神様がいないとか霊魂がないとか初めから考える機会がないのです。

 

要するに西洋の文脈とは全く異なるのです。

西洋における神様は非常に強力な抑圧を持ちます。

 

ですが、日本の宗教は抑圧をほとんどしません。

大乗仏教上座部仏教小乗仏教)に分けられ、

抑圧が強い宗派はすべて内にこもって、世間に流通しないのです。

 

それゆえに、日本人は宗教の抑圧をほとんど経験しません。

 

アメリカではメリークリスマスというだけでぶったたかれる社会ですが、

日本ではそういう発想に嫌悪感を覚えます。

 

以上の3つの理由から日本人は無宗教なのです。

 

無宗教が意味するのは宗教にこだわらないということです。

宗教にこだわること自体を恥だと感じています。

 

まとめ

 

日本人はある種合理的に宗教を捉えているのではないかという視点から

日本人がなぜ無宗教だと主張するのかを考えてみました。

 

利益があるならば、宗教を受け入れ、害があるならば、受け入れない。

日本人にとっての宗教はそういうものです。

決して宗教自体が目的にはなりません。

 

信仰のための信仰など不合理ですからね。

 

それに信仰を強制するような力を持つ宗教団体は日本にありませんからね。

そんなものは必要ないし、拒否するでしょう。

 

今回は日本人の宗教観は本来の宗教の目的に合致しているという思いから

無宗教への批判は的外れだということを言ってみました。

 

これからは胸を張って、無宗教と言ってください!

あっ、でも無宗教と海外の人に言ったら、妙なことになるので、

ブッディスト(仏教徒)と答えておいたほうが無難ですね。

 

狂信者とは違うんです。

 

今回は割と過激なことを言っていましたが、いかがだったでしょうか?

それでも、ここまで読んでいただいた方に感謝を。

ご読了ありがとうございました。

 

やっぱり無宗教でいられるのは幸せだなあと思っちゃいますね。