うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

あなたのお話に根拠ありますか? 抽象思考を脱する3つの方法

 

 

はじめに

 

形なきものを形なきままに説明してしまう、ほうじょうです。

 

今回は

 

自分の抽象的になりがちな思考を戒めるための記事です。

自分の話を可能な限り分析し、根拠を添えて話すための方法を3つご紹介します。

 

抽象的な思考を分析する

 

みなさんは話に根拠があるかどうかを普段から考えますか?

私はほとんど考えません()。

 

よくもまあそんな状態で哲学学ぶとか言えるなといつも自嘲しています。

何とか根拠なく話をする癖を何とかしたい。

でも、その方法がわからない。

 

だから考えてみました。

 

抽象的な言葉にもぼんやりとした根拠がある

 

まず、どれだけ抽象的な言葉にも根拠はあります。

それは自分の感情だったり、昔読んだ本だったり、大好きなゲームだったり、

いろいろなものに基づいています。

 

どれだけ無根拠に見える文章にも実は根拠は必ずあるのです。

根拠がなければしゃべることはできませんからね。

 

ということは、抽象的な言葉がどこに由来するか、どうしてそんな言葉を言う必要があったのか理由が何かしらあることになります。

 

つまり、抽象的な言葉でもひと手間加えれば具体的な言葉に変わるということです。

 

抽象的な言葉を具体的にする3つの手順

 

では、そのひと手間とは何でしょうか?

それは3つの段階に分けられた一連の作業のことです。

 

具体的には

 

  1. 抽象的でもいいから形にする
  2. その言葉が何を根拠にしているか考える
  3. 根拠を引っ張ってくる

これで具体的になります。

 

各自説明を加えます。

 

抽象的な言葉をばらまく

 

実は根拠を提示するのは大変です。

大変だから意識しないとできません。

 

ですが、大変なわけなのでいきなり根拠を提示することは難しいです。

だから、最初は抽象的なまま言葉をばらまきましょう。

 

とりあえず抽象的でも形にすれば、分析が可能になります。

どれだけ形が見えなくても、茫漠とした輪郭しかなくても、

それは形を持ちます。

 

形を持ったものを分析しましょう。

 

見返す

 

さて抽象的な思考をばらまくだけならば、割と楽にできます。

しかし、それを読み返すのは割とつらいです。

 

まずはばらまいた言葉がどこにあるのか。

どういう反響があるのかを調査しましょう。

 

そういう点でtwitterは便利です。

 

どれだけの人が見てどれぐらいの割合で反応してくれたのかを

データにしてくれています。

 

それを見ながら、この言葉は何を根拠に話したんだろう?

そう考えましょう。

 

例えば、私は昨日大地に膝蹴りをかましてしまい、

強大なものに逆らうことの代償を痛感し続けているところです。

 

そういう話をtwitterで3つくらいつぶやいています。

 

私はなぜそのような話をしたのでしょうか?

 

まず、第1に痛いからです。

痛いの苦しいですからね。

 

次に昨今権力に逆らう人がいるけど、それってつらくない?

そういう思いが来ます。

Twitterの影響ですね。

政治のお話をしている人はみんな苦しそうでかつ異様な興奮に包まれています。

そんな様子を思い起こします。

 

そして地球というのがある意味で最も権力を持つ存在であること。

自分にとって最も身近でありながら最も力強いもの。

それが地球です。

地球に反乱するとかそりゃあ痛いよと思います。

政府という人間の塊に反抗するよりもそりゃあ痛いよ。

だって、政府よりも地球のほうがつよいもん。

 

そんな思いが根拠になって、以上の発言につながります。

考えてみれば、割と根拠はありますね。

 

根拠にしたものを引っ張ってくる

 

さて、自分の発言をちょっと考えてみました。

ここで重要なのが根拠を引っ張て来て、ほかの人が納得できるようにすること

 

これが一番大変です。

なにせ無意識の領域にまで押しやられた

たくさんの経験を引っ張り出す必要があるからです。

 

大地への膝蹴りの件は現在進行形で代償を払うことになっているため、

いくらでも思い出せます。

しかし、ほかの経験や本を引っ張り出すのは難しいです。

 

大学時代に借りた本に影響を受けたとかむかーしやったゲームに影響を受けたとか

すでに消滅したネット小説に影響を受けたとか

いろいろな事情で根拠を引っ張り出すのは難しいです。

 

頑張りましょう。

自分の人生を振り返りましょう。

どのタイミングでその思想に触れたのか。

どうして感銘を受けたのか。

 

思い出しましょう。

思い出せなくても、ググってみましょう。検索してみましょう。

 

ほぼ確実に出てきます。

本やゲームやwikiや、情報氾濫の時代ですから当たりさえついていれば

根拠はいくらでも出てきます。

 

自分が直接影響を受けたわけじゃなくても、

そのコピーや本家本元に出会うことができるでしょう。

 

言葉は再生産され続けます。

ずっとコピーされ続けています。

 

検索という手間をかければ、コピーのどれかや影響を受けたものにあたります。

 

今はそういう時代です。

根拠は探せば見つかります。

探す手間をかけましょう。

繰り返す

 

AoB思考

 

今回の記事の本元は

https://note.mu/hik0107/n/ne240d47572c9

hikaruの分析語り①分析とはひとことでいうと◯◯◯である

 

です。

 

こちらの記事によると

分析思考とは結局成果が出たかで無かったかを考えること

となります。

 

Aという話とBという話のどちらかが正しく、どちらかが間違っている。

そういう問いに答えることが分析だというのです。

 

今回の話は正しさというよりも自分がどのような感想をもとに

話しているのかというものでした。

 

正しさというよりはこういういろんな根拠があって、

こういう発言につながりました。

そういう形での分析です。

 

利益になりません。

 

ですが、やはり通じると思います。

 

それが本当に根拠にしたものかどうか。

その根拠は本当にかつて存在したのか。

その根拠は世間やらコミュニティーやらでどれぐらいの価値をもつのか。

 

そういうことを分析することは通じています。

なんのために分析するか考えましょう。

私の場合はうたかたのあとさきの名の通り

ありとあらゆる思考の後先をたどるブログですので、

経験を根拠にすることは全く問題ありません。

 

皆さんにとっての分析の場合はどうでしょうか?

考えてみてほしいです。

 

まとめ

 

今回は抽象的な話で相手を苦しめてしまっていることに苦しんでいる私が

抽象的な話を具体的にする方法を考えてみました。

 

まとめると

最初は抽象的でもいいのです。

抽象的なまま放置するのが一番いけません。

 

考えれば答えはでます。

根拠は必ずあります。

根拠がなければしゃべることはできないからです。

 

抽象的な話はどういう経験をもとにしているのか探っていきましょう。

それを明示すれば、具体的になっていきます。

ですが、大変で労力がいります。

 

だからこそ価値を持ちます。

私も含めてほとんどの人がやらないからです。

 

根拠が明らかになれば、どんな話も抽象的ではなくなります。

意味不明なわめきではなくなります。

 

抽象的な話でもひと手間加えれば、まったく抽象的じゃなくなります。

 

なんとか分析思考をものにしたいものです。

 

ご読了ありがとうございました。