うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

『方法序説』 確かな方法と確かすぎるがゆえに生じた大混乱

 

 

はじめに

 

自らのルーツをたどる、ほうじょうです。

 

今回は

 

方法序説』全体の書評です。

方法序説』の読み方も載せましたので、参考程度にどうぞ。

 

方法序説の背景

 

まず、方法序説の原題は『Discours de la method pour bien conduire sa raison, & chercher la verite dans les sciences. Plus la Dioptirique, les Meteores et la Geometrie, qui sont des essaie de cette methode』1637です。

日本語訳だと『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の序説。加えて、その方法の試みである屈折工学、気象学、幾何学』です。

 

題名からしてすでにめっちゃくちゃ難しいですね。

そういうわけで普段は『Discours de la method』や『方法序説』と呼ばれています。

長すぎると覚えるのも言うのも大変ですからね。

 

さて、この本はフランス語で書かれています。

これは実は画期的なことだったのです。

 

当時の学問の主流言語はラテン語です。

なので哲学的な著作や学問的な著作はすべてラテン語で書かれています。

 

そういう風潮にデカルトは反抗しました。

読みやすいほうがよくない?と。

 

だから、デカルトは自分の母国語であるフランス語でこの『方法序説』を著したわけです。

 

ついでに言うと当時は宗教的な大弾圧の時代です。

かのガリレオ・ガリレイの著作が教会によって発禁されたり、

実際にたくさんの学者が火あぶりにされました

 

そういう時代の緊張のもとにこの本は書かれています。

 

デカルトももしかすると火あぶりにされていたかもしれません。

そういう時代だったのです。

 

そのため、この本の中には発禁にされるような要素は可能な限り入っていません。

入れると死ぬからです。比喩抜きに。

実際、何人も灰にされています。

 

火で焼くというのは苦しいだけでなく、宗教的にも大きな意味があります。

最後の審判で復活できなくなるからです。

だから、当時のヨーロッパでは土葬が主流でした。

 

そんな思想信条のなかで火あぶりにされること。

想像を絶するほどの恐怖があるでしょう。

 

そういう事情を考えないと理解ができない箇所がいくつかあります。

 

デカルトは革命家にはなりたくないよと何度も念押ししています。

自分は世間に波乱を起こすために本を発行したんじゃないよと何度も念押しします。

 

そうしなければ死ぬからです。

 

以上のことを踏まえて、実際の方法序説の中身に移りましょう!

 

方法序説の6つの部

 

こちらは『方法序説デカルト著 谷川多佳子訳 1997の解説に詳しいことが載っています。

簡単に参考にします。

 

第1部:学問が不確実すぎるから旅に出ます

第2部:戦争の行き先で暇ができたので学問の改革の方法を4つ考えてみました

第3部:学問改革している間に足元おろそかにしちゃだめだよ

第4部:「われ思う、われはある」

第5部:第4部をもとに諸科学について考えてみたよ

第6部:教会はすごく怖いけど学問は広く知られて積み重ねられるべきものだと言うよ

 

だいたいこんな感じです。

 

各部の説明はほかの記事で詳しく行います。

ここではこの本がどういう流れで書かれているのかを述べます。

 

デカルトが『方法序説』を書きたいと思った動機。

学問をわかりやすいものに改革したいという思い。

改革している間も足元おろそかにしちゃだめだよという思い。

 

すごい確実なもの見つけたからみんなに教えるね。

考えていることや疑うこと自体が存在する根拠なんだよ!

ここから現在なぜ世界が確かなのか神様を使って証明するよ。

 

証明終わったから証明を根拠にいろいろ考えるよ

教会怖いよ……。でも学問をあきらめないよ。みんなもあきらめないでね。

 

こうなります。

 

序盤は非常にわかりやすく、ビジネス書として読んでも遜色ありません。

何なら『方法序説』を参考にしているかもしれません。

それぐらい影響力の大きかった本です。

 

デカルトの意図

 

それでは、この本を書いたデカルトの意図を考えましょう。

 

やはり、正しい方法で理性を導くことでしょう。

そして、混乱した学問の世界や日常に秩序を与えたい。

私はそういう意図を読み取りました。

 

序文や第1部などで確認できます。

 

さて、このようなデカルトの意図からすると第4部に対する評価は不本意なものです。

最も確実なものが見つかった。

さあ、哲学も積み重ねる時が来たぞ!

 

そう思った矢先、心身問題という予期せぬ問題が生じました。

 

心身問題とは

確実なのは心だけならば、体は確実じゃない。

ならば、心と体をつなぐ方法は何?という問題です。

 

これが今でもなお議論が続く大混乱を生み出してしまいました。

 

デカルトとしては非常に不本意なことでしょう。

まさかこんな混乱を引き起こしてしまうとは……。

革命家になるつもりなどみじんもなかったのに……。

 

デカルトが今しゃべることができるならば、こんな話をするでしょう。

 

実は自分も学生時代にデカルトの意図を勘違いしていました。

勘違いしていたと言うよりも理解できなかったのほうが正しいでしょうか。

 

とにかく学生時代の自分は

デカルトの「われ思う、われある」を打ち破ろうと苦心したのです。

しかし、デカルトはそんなことは求めていません。

無益です。

 

疑うために疑うのはやめてねと実際に『方法序説』第6部に書かれています。

それを私は見過ごしていたのです。

 

だから、今ここでデカルトの正しい意図をくみ取ろうと思います。

 

方法序説から何を学ぶか

 

方法序説自体は実は難解ではありません。

1段落が4ページにもわたることがあったり、文章が長かったりします。

 

しかし、そういう傾向は第1・2・3部では見られません。

非常に読みやすいものです。

 

混乱が起きるのは第4部からです。

「われ思う、われある」

ここまではよかった。

 

ですが、そのあとに心と体をつなげるために神様を登場させたのです。

その神様は理論をつなげるためだけに生み出された神様です。

パスカルなどに「機械仕掛けの神」と批判されてしまいました。

 

その神様なしでは心の確かさに比べて、体の確かさが確実にはならないのです。

 

そのことに多くの人が気づき、デカルトに指摘しました。

しかし、デカルトはその問いに答えられませんでした。

そして、今までその問いに答えられた人はデカルト以外にもいません。

 

唯一の確実なものは

「われおもう、われある」だけでそこから何かを紡ぐことはできなかったのです。

 

そこでこの問いを回避するために確実性を少し緩めて、蓋然性(だいたい正しいこと)を重視しようよと主張する人が現れます。

それがベルクソン生の哲学の提唱者です。

 

心身問題に陥るのは方法的懐疑を行うからで、いったんやめよう、判断停止しようよと主張する人が現れます。

それがフッサール現象学の提唱者です。

 

このように哲学はデカルトの心身問題を中心に今後展開していきます。

ここから私が学んだことは一つ。

確実性を求めすぎると、ほかのすべてをおろそかにしてしまうことです。

絶対の確実性を求めれば、そのほかのすべてが確実ではなくなるのです。

 

ですが、第1・2・3部、そして第6部は今でもビジネス書に書かれていてもおかしくないほど実践的です。

デカルト実学の人でした。

そのため、哲学の初心者には第123部で古典に慣れることをお勧めします。

いったん第4部はふーん、こういうのもあるのか程度でスルーしてください。

その次の第5部は読まずにスルーしてください。

そして、第6部を読んでください。

 

一番難しいところを飛ばして読むのも古典読解の重要なところです。

 

まとめ

 

今回はデカルトの『方法序説』について書評を書いてみました。

全体的にデカルト実学の人です。

哲学の不確かさに確かさを付け加えようと努力しました。

哲学においても実学の人でした。

 

しかし、あまりにも確実すぎる「われ思う、われある」が心身問題という混乱を生み出しました。

 

デカルトも予想外だったはずです。

彼は何度も本書で念押ししているように、革命家になどなるつもりはなかったのです。

誰かにとって害にはならないように気を付けて書いたはずがこの大混乱です。

 

さぞ不本意な思いを抱いたでしょう。

 

しかし、その混乱を抜けて第6部では現在の学者全員が心得るべき事柄がいくつも書きつけてあります。

 

疑うために疑うなとか現在の諸科学でも信じられている話などたくさんあります。

 

読み方を間違えなければ、この本は非常に実りあるものです。

ちょっと本が好きな人ならば、第1236部は割と楽に読めるでしょう。

しかし、第4・5部は非常に難しいものです。

 

通読はいったんあきらめましょう。

ここから得られるものは混乱だけです。

どうしても読みたいならば、入門書を並行して読み進める必要があります。

 

それぐらい難しい箇所なのです。

 

しかし、それ以外はビジネス書としても読めるほどにわかりやすいです。

通読さえしなければ、『方法序説』は今でもなお色あせない実学の書なのです。

 

少しでも『方法序説』の魅力が伝われば幸いです。

 

ご読了ありがとうございました。