うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

日本語を日本語で翻訳する 個人ブロガーの役割について

 

 

はじめに

 

形あってもとらえがたいものをとらえたい、ほうじょうです。

 

今回は

日本語を日本語で翻訳するという観点から

個人ブログの役割を考えてみたいと思います。

 

せっかく専門的で画期的で役に立つことを学んだのに

他人に伝えられないのはもったいないことです。

今回の記事で自分の学んだことをわかりやすく解説したい!

そのように感じられるきっかけになれば幸いです。

 

同じ日本語でも……

 

最近、ノーベル生理学賞を日本人の方が取得されましたね。

画期的ながん治療法が評価されたとか。

 

ですが、そのがん治療法はクリニックなどで行えるような簡単なものではありません。

特殊で大掛かりな装置が必要なのです。

 

しかし、言葉の感じだけならば、免疫療法を掲げた民間療法でも

がんが治るように思われてしまいます。

 

そこには専門用語の難しさと技術の特異性が絡まりあっているように思われます。

 

そういった専門用語の難しさ、理解のしがたさからこれから

民間療法という名の新興宗教が勃興することになるでしょう。

本当にがんを治療したいのならば、しかるべき場所に行く必要があります。

 

でもわからない。

わからないから身近なものに飛びついてしまう。

 

そういったことを防ぐために個人ブログが求められます。

わかりやすいし、正しい。

民間療法に頼らなくてもいいとわかれば、

専門の病院に行くこともできるようになるでしょう。

 

あえて個人のブログを読む理由

 

概念をかみ砕くこと。

概念をわかりやすくたとえること。

どこで何をすべきなのかを教えてもらうこと。

 

インターネットで調べる人はわからないから調べます。

知識を得るために、そして、わけのわからない用語の実態を知るために

あえて検索窓に用語を打ち込むのです。

 

これから私がブログで意識していることを3種類上げます。

 

わかりやすさ

 

わかりやすいこと。

これは絶対条件です。

ニュースで見たけどよくわからなかった……。

仕方ないから検索しよう……。

 

そういった欲求から人は検索します。

検索はひと手間必要ですからね。

 

そこでよくわからないお話をされたとしましょう。

せっかく調べたのによくわからない……。

 

徒労感に包まれるでしょう。

 

実際、読んでも全く分からなかった……。

そういうこともあり得ます。

私もあります。

 

そこから別のサイトを検索するのには労力が必要です。

よくわからなかったけどいいか……。

私もこういったことを経験しています。

 

そういった労力を減らすこと。

そのためには一度読んだらわかるようにする必要があります。

 

そのため可能な限りわかりやすく。

手間を省けるように。

 

それを意識しましょう。

 

読みやすさ

 

わかりやすいように書くとはどういうことでしょうか?

 

仮に解説の内容自体は読めばわかりやすいとしましょう。

 

しかし、余白は全くなく、段落の区別がなく、

どこで一区切りを入れていいかわからない……。

読むの疲れる……。

 

そうなったらどうでしょう……。

せっかく読めばわかる解説なのにその知識を手に入れることが難しくなります。

 

読みやすさはわかりやすさの前提条件です。

読みにくいことはほぼわかりにくさと同等の意味を持ちます。

 

私はデカルトの『方法序説』で似たことを感じました。

1段落が4ページにわたる。

どこで切っていいかわからない。

 

内容は現在でも通じるほどなのにこの読みにくさから

内容まで読みにくいと勘違いされてしまいます。

 

これは非常にもったいない。

わかりやすく解説するのと同時にレイアウトを意識することが重要です。

 

私の場合は必ず4行以内にするようにしています。

意味段落的には8行以上になる場合でも、あえて2つに分割します。

 

それは余白によって一瞬休むことができるためです。

休憩ポイントです。

人の最高の集中は15秒程度といわれます。

だいたい4行以上だと疲れ始めます。

 

読むのが難しいというのはわかりにくいことと同じことです。

内容だけではなく読みやすさも重視しましょう。

 

文章量が多くなってしまう……。

それは解説をわかりやすくしようとすると自然に文章量が増えます。

私の場合でも、仮の文章を校正すると1.5倍に膨れ上がります。

 

そういった場合は目次をつけましょう。

そして、見出しを複数にして「はじめに」と「まとめ」を読めば、

内容の把握はできるようにしておきましょう。

時間がなくても「はじめに」と1つ目の見出しは読んでくれる可能性が高いです。

 

逆に言えば、そこだけで疲れることもあります。

 

可能な限り短く簡潔に。

できなければ、見出しを付ける。

これを徹底しましょう。

 

アクセス性の高さ

 

アクセス性が高いとは「検索すればいつでもでてくること」です。

情報の場所がどこにあるかを知っておくだけでも

安心感は段違いです。

 

長い……。でも、見出し的に重要そう……。あとで読もう……。

そういったことをブログという形態では達成しやすいのです。

 

ブログはだいたい1000文字ぐらいから多いと10000文字ぐらい。

普通の新書でもだいたい200ページ15万文字程度と比べれば、

格段に読みやすいです。

 

さらに各種ページにはアドレスが設定されています。

そのアドレスを利用すれば、いつでもどこでもインターネットさえあれば

アクセスできる。

 

ここが本との違いです。

通読の難易度が全く違います。

 

さらにスマートフォンですと窓を30以上開きっぱなしにすることができます。

ブログはそういう点でもアクセス性に優れています。

 

この点から個人ブログはすぐに読み切れること。

できなければ、「後で読もう」ができるようにすることを心掛けたほうがいいでしょう。

強みを活かしたほうがいいです。

 

文語を口語に翻訳する

 

同じ日本語でも文語と口語があります。

文語は厳密性を求めるときに使われます。

そのため、難しくなる傾向になります。

冒頭で述べました、ノーベル生理学賞の件についても同じです。

 

ですが、口語は普段から使っています。

だから、わかりやすい。

言葉がわからないということが少ないです。

 

だから、本当は文語ではなく口語で説明されることを人は求めています。

 

そのため、文語で説明されていることを口語に変換する。

それをブログに求められているように思います。

 

そして、このような作業を日本語を日本語で翻訳するといいます。

 

私も文語を口語に変換する翻訳者として活躍していきたいものです。

 

まとめ

 

今回は個人ブログをなぜ読むのかを考えてみました。

個人的な意見・難しくてわからないけど興味のある学問・内容量が膨大すぎて

習得に時間がかかりすぎる知識。

 

そのような習得が難しい知識を手に入れるための手段として

各種のブロガーがしのぎを削りながら、概念をわかりやすく明確化するところ

にブログの役割があるように思いました。

 

私としても個人の経験を聞くのは楽しくて好きです。

ですが、いわゆるリアルのほうでは接することができる人に限りと境目があります。

 

ブログにはそういうものはありません。

生の意見を聞くことができます。

そこが魅力的に思えます。

 

そして、何よりも現在不足しているように感じるのが

各種難しい概念を簡単にわかりやすく解説してくれているブログです。

要するに日本語を日本語で翻訳する試みが必要です。

 

本当は知りたいのに、専門用語がわからない……。

 

そういったことは非常に多いと思います。

 

専門用語を日常の言葉に変換し、

誰もが取り出すことができるようにすることが

ブロガーに求められていることのように思われます。

 

専門的な知識を翻訳する作業は難しいものです。

完全に理解をして、そのうえで別の言葉に変換する必要があるわけですから。

さらに取り違いもあり得ます。

翻訳の難しさです。

 

難しいからこそ価値があります。

難しいものを難しいままにしておくのはもったいない。

 

複雑で難しいものでも単純なものごとの積み重ねでできています。

それを一つ一つ丁寧に解説できるように努める方向性こそが

個人ブログに求められています。

 

私もこの内容に従って、ブログを書いていきたいと思います。

この記事が少しでもわかりやすく、読みやすく、アクセスしやすいものであれば、

幸いです。

 

ここまで読了してくださった方に改めてお礼を申し上げます。

読了ありがとうございました。