うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

銀行は虚業なのか? 安全というヒトの基本的な欲求から考える

 

 

はじめに

 

安心という形のないものにお金をかけたい、ほうじょうです。

 

今回は

虚業という形のないもの、安定していないものを売る業界に

銀行・証券・保険は含まれるか考えてみました。

 

結論としては銀行・証券・保険は虚業ではありません。

なぜなら、人々は安心と安全にコストをかけるためです。

 

クレジットカードは安心のために使う

 

私は何回かクレジットカードの記事を書いています。

 

 

utakatanoatosaki.hatenablog.com

 

こんなのですね。

 

この後、何とかクレジットカードと簿記の知識を結び付けて、

クレジットカードは掛け払いという結論に至りました。

 

ちなみに掛け払いは簡単に言うとツケです。

手元にお金がなくても、後で払うということで

巨額の取引が可能になります。

 

巨額の取引にはリスクがつきものです。

私などは1万円札を持ち歩くだけでも割と心に負担がかかります。

それが10万・100万、それ以上となると恐ろしくて外を歩くことは

できなくなるでしょう。

 

お金が失われる可能性がある。

ですが、失われても取り返す可能性があります。

それを保険といいます。

 

1万円札の代わりにクレジットカードを持ち歩くとしましょう。

クレジットカードの暗証番号は自分にしかわかりません。

もしもクレジットカードを紛失してしまった場合は、すぐにクレジットカード会社に連絡をして、停止をしてもらえばいいのです。

 

失われた1万円札は戻ってきませんが、

クレジットカードでは1万円は失われません。

使っていないからです。

 

そこでクレジットカードがリスク対策になっていることに気づきました。

私たちは実は安心のためにクレジットカードを持つのです。

 

安心にかけるお金

 

昨今、少しお高いですが、有機栽培での野菜が流行っています。

農薬を使わないで栽培されるものです。

 

農薬について考えてみましょう。

 

農薬の人体に対するリスクは基本的にないといわれています。

しかし、ベトナム戦争を例にあげましょう。

ベトナムなどでは除草剤を空からまくことで攻撃を受けています。

それによって、現在も草の生えない場所が多くあるようです。

 

草が生えないということは生命に影響があるかもしれないのです。

ということは農薬が人体に対して影響を与えるかもしれません。

 

人体実験もされていません。

人体に影響が与えられるか不明です。

 

ちなみにさすがに農薬を飲み干せば、人でもその生命を終わらせてしまうでしょう。

 

農薬を使って、育てられた野菜を食べたいか?

そう聞かれれば、できれば使われないほうがいいと思う。

そう答えるでしょう。

 

安全性の低い食べ物を食べたくない。

安心してご飯を食べたい。

そういった基本的な欲求が有機栽培の野菜を人気にしています。

 

(ちなみに農薬が使われているということを知らなければ

安心して食べることはできます。安全かどうかは別の話ですが。)

 

ついでに化粧品が売られる時も

「自然由来の成分」

とつくことがあります。

 

別に自然由来だから安全とは限らないのですが、

なんとなく自然由来のほうが安心できます。

安心できるから売れるのです。

 

要するに安心するためならば、私たちは多少のお金をかけてもいいと考えていることです。

私もお金があれば、安心と安全のためにお金と手間をかけるでしょう。

 

ですが、お金はないので思考停止でおいしいご飯を食べます。

お金はなくてもおいしいので仕方ないですね。

 

銀行・保険・証券

 

私たちは安全や安心にコストをかけられます。

ということは、安全や安心を売る専門の会社があるでしょう。

 

銀行・保険・証券が安全や安心を売ることによって成り立っている典型的な職業です。

もしも、人々が不安を感じなければ、これらの職業はすべて消滅してしまうでしょう。

 

しかし、消滅していません。

私たちは安心・安全のためならば、多くのコストを払うことができます。

私たちが不安を感じる可能性がある限り、これら3種の業種は存在し続けるでしょう。

 

安心というのは非常に高い価値を持つのです。

不安を打ち払うために銀行・証券・保険会社は存在します。

 

虚業とはかけ離れています。

売るものに形はなくとも、心を安心させてくれます。

 

安心に対する欲求

 

今まで安全や安心に対して人々がコストをかけるという話をしてきました。

これは私の経験ベースですが、実は学問的にも裏付けがあります。

 

例えば、マズローの欲求5段階説を上げます。

 

安全は生理的欲求についで人間の5大欲求の2番目に位置します。

 

自然界では安全などは基本的にありません。

生理的な欲求の充足すらも保証されていません。

 

しかし、現在の日本社会ではほとんどの場合安全です。

しかも、生理的な欲求もほとんど満たすことができます。

 

各地にスーパーがあります。

コンビニがあります。

お金を払いさえすれば、ご飯が食べられます。

 

お金自体も安心のために生み出されたものです。

お金を使えば、ご飯が食べられるという安心感。

それはお金に対する信用が生み出しています。

 

なくなったら、大変なことになるでしょう。

 

さらに、

道に歩道が用意されています。

道路交通法が存在します。

信号機が存在します。

 

もし仮に信号を無視する人がいるとします。

その場合、信号を無視する人に対して怒りを感じるでしょう。

安全を侵害しているためです。

自分が安全に生きていくための土台を踏みにじられているように感じるのです。

 

安全や安心への欲求は他者のふるまいにも感じられます。

自分は関係なくても危ないことをしている人を見るとハラハラします。

安全をあえて捨てている様に不安を感じるのです。

 

形のないものを売るからと言って虚業とは限らない

 

第2の欲求に安全が位置します。

第1の欲求は生存の欲求です。

 

生存を保つためには必ず食料が必要です。

そして、安全のために私たちは家を作ります。

服を着ます。

 

衣食住は基本的な欲求だと考えられていますが、

衣住については寒さや暑さというリスクへの対処です。

 

最悪、なくても死なないかもしれません。

しかし、お金をかけます。

死ぬ可能性が生じるためです。

 

銀行・証券・保険も同じです。

お金という食料や住む場所、着る服に変えられる大切なものを守るために

それらの業種はあります。

 

私たちは安全のためにお金を払います。

それは最も基本的な欲求に他ならないのです。

そのための最適な手段として銀行・証券・保険は存在します。

 

まとめ

 

今回は安全な状態や安心という欲求から銀行・証券・保険が

なぜ成り立っているのかお話ししました。

 

私たちは安心のためならば、お金もかけられますし、行動も変えることができます。

安全な状態が達成されない場合、私たちは不安を感じます。

 

そうした不安を軽減してくれるのが、銀行・証券・保険です。

 

なんとなく実感がなかったのですが、

それらの3種類の業種は安心と安全を売る典型的な業種です。

 

銀行は金銭を奪われる可能性をほぼ0にしてくれます。

証券会社では高額の取引において仲介人をしてくれます。

保険は予期せぬ不幸で生じた損失を減らしてくれます。

 

もしもこれらの業種がなくなればだれが不安を解消してくれるでしょうか?

 

不安というのは限りなく生理的欲求に近いものです。

それを解消してくれるものにお金も行動のコストもかけるのは

私たちがヒトという動物である限りなくなることはありません。

 

経済学では合理的な人間を想定していますが、

完全に合理的な人間を想定した場合、

銀行・証券・保険などは消滅してしまいます。

安心や安全に払うコストは利益とは真逆ですからね。

 

皮肉なものです。

 

というわけで

銀行・証券・保険は虚業ではありません。

私たちの安心・安全を保障するために存在しています。

食料品を売るのと変わりはありません。

 

私たちの欲求に安全・安心がある限り、

それらの業種が消滅することはないでしょう。

 

ここまでご読了ありがとうございました。