うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

科学は宗教の一種だった!? 私達はなぜ科学と宗教を区別したのか

おはようございます、ほうじょうです。(現在23:30)

 

最近はずっと寒いですね……。

休日だとお布団から出るのも難しく、ブログを書き始める時間が大幅に遅れてしまいます……。

冬は厳しいですね……。

くまさん、冬ごもりですやすや気分なのに共感します……。

 

さて、今回の記事は科学と宗教の差が内容にしかないことから、

「科学は宗教の一種である」という常識はずれの結論を導き出します。

 

これで科学と宗教シリーズは今回で終わりとなります。

自分なりになぜ科学と宗教を同一視しなければならなかったのか

わかったので有意義でした。

 

これで数学を勉強しないといけない理由ができます……。

数学勉強したくないな……。

 

どうでも良いことは置いておいて、本文へどうぞ!!!

 

 

科学における霊感

 

科学においても宗教体験のようなものはあります。

特に数学などは直感がものを言う学問です。

 

理論物理学者などは神がいるとしか考えられないという人も数多く居ます。

 

ただ、科学はその直感の道筋を明確にし、誰とでも共有できるように論理を組み立てる義務があります。

説明責任というやつです。

 

この点が科学を有用足らしめているのでしょう。

ちなみに宗教にも説明責任はちゃんと存在します。

だから、神学などが生まれたのです。

 

科学は特殊な宗教

 

 

utakatanoatosaki.hatenablog.com

 

この記事から科学と宗教は形式の点で同一であると理解し、納得できました。

内容は異なっていても、形式や構造が同じならば宗教と科学が質的な差を持たないと言うことができます。

科学と宗教は程度なのです。

 

赤いリンゴと青いリンゴ。

味は違うし、見た目も違う。

でも、どちらもリンゴ。

 

それと同じです。

 

要するに程度問題であると導くことができたならば、

科学とは特殊な宗教の一つであるという命題が真であることを導けます!

 

私がなぜ科学と宗教を混同しなければならなかったのか、

それは結局科学もまた宗教と同一の構造を持つ、いわば思想という枠組みに含まれるから。

結局程度問題だったんです。

 

宗教は原始的な科学

 

さて、ここで宗教と科学が程度問題ってどういう事?という方のために、

神学を例に挙げます。

 

現在の私達では信じがたいかもしれませんが、かつて宗教は最先端の学問でした。

 

例えば、イスラム教の戒律。

みなさんも豚を食べてはならないという有名な戒律をご存知でしょう。

実はこの戒律に対して、

当時の豚を食べると「当たる」からなのではという推測が建てられているのです。

 

当時の豚は衛生上よくなかったのでしょう。

現在でも豚の生肉を食べるとひどい目に合うという知識は残っています。

それを戒律として、科学風に言うならば法則として定めたのです。

 

要するに宗教に衛生学の源泉があったということです。

 

ただ巨大すぎる問題があります。

それは現在もその戒律が有効とは限らないことと

戒律を変えることが非常に困難であることです。

 

その点、科学は自らの法則、宗教風に言うならば戒律を変更することができます。

この点が私達に科学を従来の宗教と区別するほどの特権的地位を与えたのです。

役立つものは徴用するし、奉る。

宗教の精神と同じですね。

 

科学と宗教は両立する!

 

さらに哲学がかつて神学の一部だったことをお話します。

 

長い間西洋哲学は神学の方法論の一つでした。

「哲学は宗教の端女」と呼ばれるほどです。

 

ですが、キリスト教神学の中に科学らしきものがなかったわけではありません。

キリスト教神学はアリストテレスなどの書物が12世紀ルネサンスにて流通するようになりました。

 

アリストテレスは哲学者と呼ばれていますが、

やっていることは現代の科学者と殆ど変わりません。

実験・観察を重ね、記録する。

そのような精神をキリスト教神学も受け入れました。

 

コペルニクスなどはガチガチの神学者

「より神の秩序に近づく」ために天動説を否定し、地動説に至りました。

それは完全に受け入れられたわけではありませんが、今も全く変わりません。

新しい学説は必ず批判されるものです。

 

十分な批判・検証に耐えた学説だけが流通するようになります。

それは今も昔も同じです。

昔は天動説のほうがもっともらしかったのです。

 

私があえてここで西洋哲学史を語ったのは、

「宗教と科学は実は対立していない」

という言葉に説得力を持たせるためです。

 

対立するのは従来の学説であって、妥当性が問題になっています。

だから宗教と科学自体が水と油のように混じり合わないものと考えるのは誤りです。

 

科学も始まりは宗教です。

科学の母は宗教でした。

たとえ、分離独立したとしてもその母の面影を消し去ることは難しいでしょう。

 

まとめ

 

計3回に分けて、科学と宗教の差を考えてきました。

結果、なんとか科学と宗教の差は内容にあり、形式には差がないことがわかりました。

 

そして、違いが内容にしかないならば、科学と宗教は程度の差しかないということが導かれます。

さらに、この程度問題への還元は

科学は宗教の一つの形であるという極端ながら、

私の直感と合致する結論を導いてくれました。

 

その結論から宗教に内包された科学の芽を探し出しました。

確かに宗教には科学的な芽があったのです。

 

ですが、科学が宗教の一種であったとしても、なぜ世界三大宗教を押しのけて、

世界で覇権を持つ思想となったのでしょうか?

 

それは宗教の特性上、自らの戒律を変えるのが非常に難しいことが挙げられます。

その点、科学は実験・検証を経て得られたデータさえあれば、

簡単に法則を書き換えることができます。

 

この点が科学を宗教と区別させました。

 

有用だからこそ、宗教は信じられてきましたし、

さらに有用な化学はもっと信じられやすいでしょう。

 

以上で自分の中の疑問がすっきりと片付いたところで記事を終わりにいたします。

意外と簡単に導けましたね。

ということは何か抜けがあったり、データ不足があるのでしょう。

もしもお気づきになられたら、コメント欄・twitterにご意見をいただきたいです。

 

それではここまでご読了ありがとうございました。

やっと普通に科学の勉強ができます……。