うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

日本の神様事情から考える「お客様は神様」論の是非

 

 

 

はじめに

 

どこにでも神様はいるものだと感心する、ほうじょうです。

 

今回は

「お客様は神様」という物議をかもす言葉に対して答えを出したいと思います。

日本の神様の定義はゆるゆるなのでだいたいすべてのものごとが神様になります。

 

ですが、神様に対する勘違い。

「神様は常に福をもたらしてくれる」

そういった勘違いは誤っています。

 

なぜなら、神様には大まかに分けて、福の神と疫病神がいるためです。



日本の神様のゆるさ

 

最近はなんにでも神といいますよね。

若者の間では曲自体を神と呼びます。

神曲」などがそうですね。

 

ゲーム中に運がいいだけで神というぐらいです。

状況が神がかっていることです。

もしもゲーム実況などをご覧になったことがある方は

思わず「神!」と叫ぶ、実況者の姿をうかがうことができるかもしれません。

 

なんかすごいことをする人も神と呼ばれます。

よくわからないけどすごい。

とにもかくにも神と呼びます。

 

要するに神様はなんかすごい存在すべての総称です。

恐ろしくあいまいな概念で西洋の神様ほどに厳密ではありません。

 

「精神」という言葉の中にも神という言葉が使われています。

神秘的なもの全ても神様に含まれます。

 

八百万の神といいますが、八百万程度では済みません。

もっと数多くの神がいます。

というか神様は数えるよりも量で測ったほうがいいでしょう。

 

それぐらいあいまいで大量にいるものです。

 

自然に対して、人に対して、創作物に対して、状況に対して、

様々な神様がいます。

 

日本はかなり原始的な多神教に近いためどこにでも神様はいます。

あまりにも神様で溢れすぎて、日本人は自分たちを無宗教だと信じ切っています。

なのに、正月も盆も祝うし、クリスマスも祝います。

灯台下暗し、身近なものほど見逃しがちです。

 

素朴に自分を無宗教であると信じられることほど信心深いことはありませんね。

 

お客様を神様と呼ぶのは自然

 

以上のようになんでも神様にすることができるため、

接客業で自分のところにお金を落としてくれるすごい存在である

お客様を神様と呼ぶようになるのは自然なことでしょう。

 

お金を落としてくれるわけなので直接的に自分に恩恵を与えてくれます。

それを神様と呼ばずして、何と呼びましょうか?

 

ゆるーい神様の定義からすれば、お客様はだいたい福の神です。

 

しかし、中には困ったお客様もいて、店員さんがどうやって対応するか悩むときもあります。

お店の評判を落とすわ、お客様を減らすわ、態度は横柄だわ、過剰な接客を持とめるわ。

 

さて、彼らは神様でしょうか?

 

当然神様です。

彼らを「疫病神」と呼びます。

 

福の神も疫病神はどちらも神様

 

多神教では神様はとにかくすごい存在すべてのことを表します。

福をもたらすとしても、害をもたらすとしても

それがものすごければ神様です。

 

神様はとりあえず祀ります。

しかし、祀り方はそれぞれです。

災いをもたらす神は何とか鎮まってもらうために神社を作ります。

手厚くもてなさないと害を与えてくるためです。

対応を慎重にしなければなりません。

 

福をもたらす神は何もしなくても、福をもたらしてくれます。

しかし、もてなしが甘ければ、もうその神様は来てくれなくなるでしょう。

もう一度来てもらうために手厚くもてなします。

 

お客様という名の神様もそれと同じです。

 

災いを持ち込む神様には何とか鎮まってもらう。

場合によっては討伐されることもあります。

有名な話ですと、ヤマタノオロチなどがそうですね。

 

それ以外にも妖怪に貶められたりもします。

妖怪は元神様だったりすることが多いです。

天狗や河童などがそれにあたりますね。

 

福をもたらしてくれる神様は積極的にもてなす。

七福神は何かともてはやされますし、

守護神は各地の神社で祀られています。

 

人々はご利益を得るために福の神に定期的に会いに行きたいと考えます。

 

疫病神には丁重にお帰りいただく

 

そういうことです。

 

迷惑な客は疫病神です。

それ相応の対応をして、出て行ってもらわないと不幸をもたらします。

厄払いですね。

 

どんな横柄な態度でもお客様は神様です。

可能な限り穏便にお帰りいただき、なおかつもう来てもらわないようにする。

そういったバランス感覚が求められます。

気難しい神様ですね。

 

まとめ

 

今回は「お客様は神様」という言葉が全面的に正しいと同時に

お客様の種類によって福の神と疫病神に分類されることを述べました。

 

福の神に対してお店は手厚くもてなすでしょう。

彼らは恩恵をもたらしてくれるためです。

 

しかし、疫病神は手厚くもてなす必要があります。

居座られては困りますからね。

ほかの福の神が逃げてしまいますからね。

お祓いをする必要があります。

 

厄介なお客様には「警察に連絡しますよ」という呪文で退散していただきましょう。

信教の自由とはそういうことです。

嫌な神様を信じないことも信教の自由に含まれます。

お店にもお客様を選ぶ権利があります。

 

ただ疫病神でも適切にもてなせば、そのまま帰ってくれることもあります。

普通のお客様よりも手厚く対応しましょう。

害をもたらす神なので恨みを買ってしまいますと大変です。

疫病神は非常に粘着質なので振り振らえません。

 

お店は福の神を手厚くもてなすことで繁盛しますので、

普通のお客様も手厚くもてなしましょう。

福の神はだいたい寛容なため過剰な接客をしなくても、満足してくれます。

 

しかし、店員の側が適切な対応、祀り方をできなければ、

その福の神はもう来てくれません。

それを繰り返せば、もうお客様は来なくなってしまいます。

 

何も言わないからと言って、店員が横柄になってはいけませんね。

 

福の神にせよ、疫病神にせよ、穏便にお帰りいただくのがいいです。

 

触らぬ神に祟りなしと言いますから。

ご利益にあずかりたいときは必ず触る必要があるのですがね……。

 

適切な対応を心がけましょう。

 

読了ありがとうございました。