うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

数学アレルギーが考える数学がわからない理由

 

 

はじめに

 

今回は

 

数学がわからない!

でも、数学を身に着けたい!

 

そういう思いから書き出したものです。

 

哲学をするためには数学の素養があると便利

 

哲学は現在なぜか文系科目として納められています。

しかし、哲学から現代の代数学が派生しています。

なんと代数学におけるxy座標のの発明者はデカルトです。

 

そういうわけで私も数学苦手だけど、触れてみました。

 

やっぱり数学がわからない!

 

そこで私は数学関連の書籍にあたってみたのですが、数式にぶち当たるとダウンして、勉強速度が非常に下がります。

 

これはいったいどういうことでしょうか?

 

どうして私は数学を身に着けることができないのでしょうか?

数学を身に着けたいのに、身に着けられないもどかしさを感じました。

 

そこで自分なりに数学のわからないポイントをまとめてみました。

 

数学わからないポイント

 

  • ギリシャ文字を使う
  • 説明なしにいきなり変な文字が挿入されている
  • 論理が飛躍している

 

以上の3ポイントです。

 

ギリシャ文字がわからないと数学が読めない

 

数学がわからないのは、異国の言語だからです。

ギリシャ文字の読み方がわからなければ、当然数式を読むことはできません。

 

つまり、数学を勉強するということはギリシャ文字の読み方を勉強するということでもあります。

 

そんなのは学校では教わらなかったという方は私と同類です。

力づくで数学がわからない理由を考えたところ、ギリシャ文字が読めないことにストレスを感じていたことがわかりました。

 

というわけで

実は数学はギリシャ語の勉強の一種なんです。

 

そして、ギリシャ文字を使うことが許されていることから発展させると数学は言語であるといえます。

なぜなら、論理という共通項が日本語や英語などの自然言語においてあるからです。

 

SPIなどでは数学を「非言語」と呼んでいますが、個人的に腹が立ちます。

その程度の認識だから、数学はセンスで身に着けるものであるという風潮があるのではと思いました。

 

いきなり意図の説明もなく、hとおいたり、Dと置き始める。

 

ここで私は挫折しました。

なんでここでその文字を置く必要があるんだ?

説明する必要はないのか?

と考えてしまうからです。

 

多分、数学を習得している方は数学を自分の母国語のように使える方々だと思います。

そのため、基本的な文法を相手は理解しているものだろうと前提して説明をします。

 

私は数学における基本的な文法を知らないのです。

数学における文法の意味が分からないのです。

 

つまり、数学を文法として学ぶ必要があることがわかりました。

しかし、そのような視点から論じている参考書はぱっと探したところでは全く見つかりませんでした。

 

現在、詰みの状態にあります。

 

中等教育を受けているとき、意味を教えられずに、ひたすら公式を暗記させられました。

しかし、まったく身に付きませんでした。

 

私には根本的な数学の文法理解が欠けていたのです。

 

最も正確な言語であるはずなのに、普通に論理飛躍している

 

私は数学がわからないので、参考書の答えを見てから数学を解くようにしていました。

苦肉の策です。

しかし、その答えに本来あるべき数式が挟まっていない。

 

なんと省略されているのです。

その本来あるべき数式を知るために、答えを見たのに、書かれていない。

 

何が最も確実な言語だ。こんなものを学ぶ価値などどこにある!

そうやって私は数学に対して心を閉ざしてしまいました。

 

私は参考書の選択を誤っていたのです。

 

ごく少数の本物の教科書

 

少なくとも、私は本物の数学を教わる機会がありませんでした。

ただ表面をなぞるだけの「学」などと呼んでいいものではない、数学もどきに触れていただけなのです。

 

そこで私は数学の本物の教科書を見つける必要があります。

 

まずは各種記号の意味の説明が必要です。

なぜ、どういう意図で記号を置くのかを適宜説明してくれなければ、とても厳密な学問とは言えないからです。

 

そして、数式には一切の省略をしないことを求めます。

省略をするということは人間の都合で数学をゆがめる不当な行為です。

 

そのような省略は本来数学に存在してはいけないのですが、私たちは人間です。

数学を完全に使いこなすことはできません。

 

というわけで、以上の3種類を満たした本物の教科書を探しています。

 

まとめ

 

今回は数学のわからない部分を上げていきました。

 

その中で分かったことは

 

「そもそもギリシャ文字がわからない」

「文字を置き換える意図がわからない」

「数式を省略する」

 

これらのことに私は苛立ちを感じていたということです。

 

「最も厳密な学問」というお題目を立てておきながら、この体たらくです。

当然、数学はセンスの問題になります。

 

偶然、ギリシャ文字を読むことができるようになる機会が与えられた人にしか数学の道は開かれません。

 

当然、その他記号の意味を理解できなければ、数学を理解することなど到底不可能です。

 

ここまで考えてみると、数学の問題点はその内容ではなく、人々の誤解にあると思います。

 

数学を非言語と述べるような認識こそが数学を難解な無意味な記号の羅列に成り下がらせているのです。

 

私はこのような不当な数学教育を受けたことに対して腹を立てています。

そして、このような不当な数学の教科書を排除し、真の教科書を探し当てたいと思っています。

 

もしも、探し当てられれば、皆さんにも紹介したいと思います。

数学嫌いの方が数学の真の姿を認識し、数学を言語として身に着けられるようになることを願っています。

 

読了ありがとうございました。