うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

文系学部は本当に消えるのか 文理の統合を問う

 

哲学科に通うことで理科系に対するまなざしを得ることができた、ほうじょうです。

 

今回は

文系学科が本当に消えるのかどうかの是非を

『文系の知とは何か? - 「文系学部廃止」の衝撃』

http://www.jst.go.jp/ristex/public/pdf/50_s.yoshimi2016.08.pdf

というpdfファイルから考えていきたいと思います。

 

結論から申すと、文系学科の重要性は一切否定されていません。

ただ単に現実に文系学科が軽視され、それが既成事実になってしまっているだけです。

そのような既成事実がメディアで報道され、2016年に文系学科廃止という言論が世間に流布されたという内容です。

 

 

 

文系が消えるかどうかは明示されていない

 

まずは文系学部が本当に消えるのかどうか事実から調べてみましょう。

 

『文系の知とは何か? - 「文系学部廃止」の衝撃』

http://www.jst.go.jp/ristex/public/pdf/50_s.yoshimi2016.08.pdf

というpdfファイルのA4、24枚分の講演を文字に起こしたものを参考にします。

 

この文章によると

 

2016年6月8日に

国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という文書にて

 

「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・ 大学院については、18 歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての 役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に 積極的に取り組む」

という文があり、それに新聞各社が飛びつきました。

 

さらにその1年前の2014年8月に

 

2014 年の国立大学法人評価委員会総会での配布資料の中 に「『ミッションの再定義』を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。特に教員養成 系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18 歳人口の減少や人材需要、 教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の 廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか」という文章が出 てきます。

 

これらの違いを吉見 俊哉氏は

「政治状況が全く違ったから」

と主張します。

 

2016年6月当時は安保関連法案が強行採決された時期と合致します。

この社会事情を考慮するとかねてより出されていた文書をメディアが特別に

取りざたした理由がわかります。

 

要するにこれらの問題は2015年、2016年に突然湧き出た問題ではなく、

十数年以上前から問題になり続けていたのです。

 

すなわち、吉見 俊哉氏によると文系学部消滅の問題が生じたのはマスメディアの問題であると主張していることです。

すでに2001年から文系学部への是非は議論され続けていたのです。

 

私も事実を知れば、文系学部に対する熱狂した報道に対して懐疑的にならざるを得ません。

大学の教授からこの話を聞かされた時は

「私立文系が消滅するだろう」というお話でした。

 

それは私が子供の時から既に問題になっていたことでした。

 

21世紀における人文・社会科学の役割と 人文・社会科学の役割と

その重要性――「科学技術」の新しいとらえ方、 ――「科学技術」の新しいとらえ方、

そして日本の新しい社会・文化システムを目指して――

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-18-k135.pdf

 

というpdfファイルに詳しいです。

 

吉見氏の発言をそのまま引用しますと

 

21 世紀においては、人文社会科学を入れずに外に置いたまま科学技術政策を立てることはでき ないはずである。人文社会科学を組み込んだ形で科学技術政策をきちんと考えるべきで、そ の中で人文社会科学の地位や位置を保証しなさい、なぜならば、新しい科学技術的な問題と いうのは人文社会科学と連携した形でしか解決できない問題ばかりである。だから、まず科 学技術政策があって、その次に人文社会科学があるのではなく、最初から一緒に考えなけれ ば駄目なのだということを提言の中で言っています。

 

私はこの発言にそのまま賛成します。

文理の区別なく、すべての大学生が学び、人文と理科を混ぜ合わせて研究をすべきだと感じています。

 

本来は文系を強化するはずだったのに、政策が追いつかず、文系は衰退してしまいました。

さらにその衰退しているという事実にかこつけて、メディアは文系学部の消滅を政府が画策していると取りざたしました。

これは本来あるべき形から離れていることです。

よくよく調べてみると事実および理念とマスコミの報道が異なっていることがわかります。

やっぱり文理の区別はなくすべき

 

私の主張としては文理の区別なく、どちらも学ぶべきだと思うし、

理系学生にこそ哲学は学んでほしいと思っています。

 

私などの身でいうことはおこがましいかもしれませんが、優秀な人が文系学問を軽視して、科学に対して無批判に受け入れる姿勢は危険だと感じます。

 

特に科学哲学については煩雑ですが、理系を志す人にも役立つことです。

クーンの知の枠組み(パラダイム)の転換など、科学者には全員に知っておいてほしいことがあります。

 

ホーリズムという微小な差異を修正し続ける立場とそれが限界を迎えた時に起こる、

知の枠組みの転換(パラダイム・シフト)について知ってほしいと思います。

 

理系に知ってほしいパラダイムシフト

 

パラダイムシフトは化学が常に進歩し続けるという理念に対して疑義を投げかけます。

科学万能に対する批判をします。

パラダイムシフトは知の枠組みが限界を迎えた時、新たなパラダイムが生まれるというものです。

 

注意してほしいことはパラダイムシフトは突然起こるわけではなく、徐々に生じるということです。

ある研究者が解消しきれない矛盾を解消するための新理論を提出し、

結果今までの研究成果が過去のものとなること。

 

例を挙げますと、キリスト教における天文学などですね。

天動説を前提に展開された宇宙論は非常に煩雑なものでしたが、知識ある人にとっては調和を持つものでした。

そして、それは現在も変わらないでしょう。

 

ただ、現在の私たちからすれば常識的に受け入れがたいだけです。

 

このような歴史的事実を知らずに科学をするというのは、科学の精神に反すると思います。

自らに無批判であるというのは、科学という思想において最も忌むべき堕落のはずです。

 

しかし、それを行うためには文系学科が必要です。

社会学・宗教学・哲学・文化人類学民俗学などなど。

 

いずれも現行の科学に対する批判とその方向を修正する力を持ちます。

 

だからこそ、私は文理の区別をなくすべきだと主張します。

 

まとめ

 

ごくごく簡単にですが、文系学部が廃止されるという噂について講論をもとに考えてみました。

これらのうわさは現行の文系学科の弱体化が文系学科の必要性の問題にすり替えられ、文系学科不要論へと既成事実化されました。

 

それが流布されたのです。

 

そのような風説に対して私はNOを唱えます。

科学には科学自信をコントロールするための理念が必要だと思います。

 

かつての歴史における傾向を学び、自らが同じわだちを踏まないように努めるためには、

まず文化系学問を知る必要があります。

 

それを怠っては科学者とは言えません。

科学者は万学に通じ、自らの理論を批判し続けなければなりません。

少なくとも、私はそのように慎重に行動し、理論を構築し続ける必要があると考えます。

 

ここまで読んでいただいた方に感謝を込めて。

ご読了ありがとうございました。