うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

かつて文理は区別されていなかった! リベラルアーツと抽象的な日本の教養

 

教育にお金をかけなければならない理由がいまさら分かった、ほうじょうです。

 

今回は

国家や社会はどのような知識を求めているのか。

昔は文理が区別されていなかったけれど、なぜあえて分割したのか。

それを考えていきます。

 

それにあたって、以下の

 

リベラル・アーツ - 東北福祉大学

https://www.tfu.ac.jp/students/arpn890000001rdp-att/navi09-01.pdf

を参考にしています。

 

とてもわかりやすく、学問を志し始めた人ならば、ぜひご一読してもらいたい文章です。

インターネットのpdfで無料で読むことができます。

A4用紙8枚程度ですので、お時間も取りません。

本当に勉強すべき科目がわかり、勉強の方向が定まります。

おすすめです。

 

それでは、本文をどうぞ

 

 

リベラルアーツとは何か

 

リベラルアーツとは端的に言って、教養のことです。

現在の日本で言われている教養とは全く異なるところに注意です。

 

前サイトより引用します。

 

「教養教育」とは大学の予備課程という位置づけで、そこでいかなる 専門性にも対応できる基礎的な教養を身につけ、その後に専門性の高い 医学部や法学部に進むというものでした

 

かつての大日本帝国ではギムナジウムという小学校高学年から大学2年生までを網羅する教育機関がありました。

そこでは実際に大学に進む前に必要になるその時の社会で通用させるための知識を学ぶ必要があります。

そして、それらの基礎的な知識のことを教養と呼んだわけです。

 

教養の成立

 

リベラルアーツ(教養)という概念は12世紀ヨーロッパに生まれます。

世界史でいう12世紀ルネサンスですね。

 

ここで初めて哲学者のアリストテレスプラトンプトレマイオスが重視されるようになりました。

 

ですが、それらの本はギリシア語で書かれているため、

当然ギリシア語を学ぶ必要があります。

 

さらに、ギリシア語以外にもヨーロッパ中で通じる共通言語としてラテン語がありました。

現在に置き換えますと、英語になりますね。

 

というわけで、当時はギリシア語およびラテン語を学んで初めて研究が始まるといってよい状況にありました。

現在に置き換えれば、英語を覚えなければ学問が始まらないという状況になります。

 

また、前文から引いてきます。

 

共通語であるラテン語とその論述法を学ぶ3科目「文法・論理学・修辞学」と、自然を学ぶ「天文学・算術・幾何学・音楽」の4科目 が、知識人としてまず最初に学ぶべき「教養=リベラル・アーツ」(自由 7科)だったのです。

 

その当時の知識人は必ずこれらのリベラルアーツを学んでいたのです。

私も知っている中世・近世・近代の哲学者はこれらリベラルアーツを必ずと言っていいほど習得していました。

それが知識人と名乗るための前提条件だったわけです。

 

現在のリベラルアーツ=教養は何が当たるか

 

それでは、現在の日本の教養が何に当たるかを考えてみます。

 

「専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考法などの知的

な技法の獲得や、人間としての在り方や生き方に関する深い洞察、

現実を正しく理解する力」である。

(平成 14 年2月、中央教育審議会・答申)

 

抽象的すぎますね。

具体的にどの科目を学べばよいのでしょうか?

具体的にしてはならない理由があるのでしょうかね?

ここはわからないです。

 

少なくとも、英語は必須としてかつてのリベラルアーツの中から現在に通じるものだけを抜粋してみましょう。

 

……

 

文法・数学(算術・幾何学)だけですね。

現在の日本に残っている教養は。

 

論理学や修辞学はどっかに行ってしまいました。

一部の哲学科で学ぶことができるかもしれない程度です。

少なくとも、現在の日本では教養と呼ばれていません。

現実を正しく理解する力はここで培われるはずなのですがおかしいですね……?

 

天文学は名前を物理学と変えて生き残りました。

物理学ならば、その地位が高いままです。

 

音楽はもっと地位を下げています。

音楽についての教育は形骸化しています。

単なる娯楽と受け止めている方も多いでしょう。

 

ヨーロッパのリベラルアーツは一部のみ受け入れられているようです。

一番受け入れるべきはずの論理学と修辞学はどこに行ったのでしょう……?

 

小中高の必須9科目

 

これでは、日本で言われる教養というものがよくわかりません。

リベラルアーツではなく、日本語の教養の意味です。

じゃあ、実際に学校の義務教育から考えてみましょう。

 

小中学校の義務教育は以下の8科目に大まかに分かれます。

 

国語(語彙・文法・読解力)

英語(語彙・文法・読解力)

数学(算術・幾何学・数論)

理科(物理・生物・化学)

社会(政治・経済・歴史)

音楽(鑑賞・演奏)

体育(行進・スポーツ)

図工(美術・工芸)

 

実質19科目程度でしょうか?

最初のリベラルアーツから随分と科目が増えています。

にもかかわらず修辞学と論理学が消えています。

 

少なくとも音楽・体育・図工は全くと言っていいほど重視されていません。

センター試験を見れば、一目瞭然ですね。

 

それと書く力を教える場所どこですか?

ないんですが?

 

大学時代、少し学んだおかげで私は何とかなりました。

ですが、教えてもらわなければ書くことができませんよね?と申しておきます。

本当に修辞学どこに行ったんでしょう?

なぜかわからないので保留します。

 

現在の日本の教養15科目

 

気を取り直して、現在の日本の教養について一覧にします。

 

日本語語彙

日本語文法

日本語読解力

英語語彙

英語文法

英語読解力

算術

幾何学

数論

物理

生物

化学

政治

経済

歴史

 

15になりますね。

 

論理学と修辞学どこに行ったんでしょうね?

論理学は数学に吸収されたのでしょうか?

なんか証明がそれっぽいですね。

 

修辞学は完全に忘れ去られています。

なんか才能の産物のように言われているように感じます。

そりゃあ、教えられなければ特別な家庭じゃないと修辞学なんて知らないよという状況ですね。

 

論理学と修辞学が忘れられているせいで私は随分と苦労しました。

ここは忘れちゃいかんでしょうと、今ならば言えます。

 

まとめ

 

日本の教養をヨーロッパのリベラルアーツ(教養)から考え、

さらに日本の教育で現在必須科目とされているものから何が日本で基礎的な教養とされているかを類推しました。

 

そこでわかったのが修辞学と論理学がどっかに行っていることですね。

多分、多くのお金をかけられて恵まれた環境で学んだ方ならば、

修辞学と論理学が学校の必修とは別に教育してもらえたと思いますが、

一般の人はそのような教育を受けていません。

 

やっぱりおかしい。

現在の日本の教養の形は本来意図されている教養と違うようです。

この乖離はきちんと問題として挙げるべきだと思います。

 

文章は誰でも書けたほうがいいと思うのですが……。

本当になんでなのでしょう?

 

勉強します。

 

ここまで長文を読んでいただいた方には格別の感謝を。

ご読了ありがとうございました。

 

参考サイト

 

文系の知とは何か? - 「文系学部廃止」の衝撃

東京大学大学院情報学環教授 吉見 俊哉

http://www.jst.go.jp/ristex/public/pdf/50_s.yoshimi2016.08.pdf

 

リベラル・アーツ - 東北福祉大学

https://www.tfu.ac.jp/students/arpn890000001rdp-att/navi09-01.pdf