うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

『方法序説』をビジネス書として読む

 

 

はじめに

 

形あるものを探求するときにこそ形なきものが役立つと思う、ほうじょうです。

 

今回は

方法序説』第1部から第3部をビジネス書として読み、そこから有益なものを皆さんにご紹介する記事です。

 

古典はちょっと自分とは縁が遠いかなと思われている方におすすめです。

 

古典が今なお力を持ち、なぜ読まれているかがわかるようになります。

 

方法序説』とビジネス書

 

方法序説』は古典なんですけど、実は一般人向けに書かれているんですよね。

なんでもフランス語によって原文が書かれているとか。

その当時の民衆に向かって、この文章は書かれています。

 

学生時代、私もデカルトの原文に触れて、割とわかりやすいなと思った記憶があります。

 

その点で、現代のビジネス書に『方法序説』は通じる部分が多いと思うんです。

一般人向けに難しいことを説明するということがどれだけ重要か、400年も昔から考えられてきたようです。

 

ちなみに、『方法序説』の原文は「discoure de la methode」で検索すれば、pdfで無料で手に入ります。

気になった方はぜひ一度フランス語の原文に触れてみましょう。

 

計画を立てることの重要性

 

デカルトは闇雲に前に進むよりもきちんと順序立てて、物事を学んでいくほうが遥かに効率がいいと主張します。

 

「また、きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。」

 

というようにです。

 

自分にとってどのような道が真っ直ぐな道なのかを考えさせられます。

 

私は恥ずかしながら、「走りながらも道をそれてしまう人」の部類に入ります。

だから、計画を立てようと思い立ったのです。

考えて、自分の道が間違っていないかを悩みながら進んだほうが走り続けるよりも効率がいい。

 

このことは計画をたてることがなぜ重要なのかを教えてくれます。

 

デカルトは徹底的に実利を追い求めていました。

哲学の改革をあえて求めたのも、その当時の哲学があまりにも煩雑だったためです。

 

デカルトは当時の論理学を大雑把で無意味なものを多く含んでいると断じました。

 

デカルトには、「走りながら道をそれている人」のように見えたのでしょう。

 

私もこの言葉は心して覚えたいと思います。

 

計画は一人で立てよう

 

計画をたてるときには複数人で立てては行けないとデカルトは主張します。

 

なぜなら、計画を複数人で立てると複雑になってしまうためです。

 

「半ば未開だったむかし、わずかずつ文明化してきて、安西や紛争が起こるたびにただ不都合に迫られて法律をつくってきた民族は、集まった最初から、だれか一人の懸命な立法者の定めた基本法を守ってきた民族ほどには、うまく統治されないだろう、と。」

 

デカルトは古代のスパルタがよく統治されていた理由を

「ただ一人の立法者によって作り上げられた規律」

に求めました。

 

要するに、スパルタが民主主義的ではなく、ただ一人の独裁者によって統治されていたからこそよく統治されていたのだと主張します。

 

現代ではちょっと受け入れがたい意見でしょうが、私は真実だと思います。

統治される民衆にとっての良さと国家として存続することは割と対立しています。

 

そういった民主主義の弱点を的確に表していると思います。

多様性は判断を難しくする要因になるのです。

 

ただ、気をつけていただきたいのは、これが単に事実を述べているということです。

デカルトは「そうあるべき」などとは主張していません。

 

現実はこうなっているよねという話をデカルトはしています。

だから、多様性は否定されるべき!とはならないのです。

 

現実問題、独裁者に統治されたほうが整然としやすいよねという話をしているのです。

 

デカルトは一人が計画して、作り上げられた街の整然性は徐々に建て増しされていった街と比べて高いと主張します。

 

私もそのとおりだと思います。

複雑になってしまうんですよね。沢山の人の思惑が重なり合うと。

 

学問もそれと同じです。

整然生という観点では現代の科学は一人の哲学者によって作り上げられた体系ほどうきれいではありません。

 

実際の正確さと整然性は対立するものなんです。

正確性を重視するならば、文章が複雑になりがちです。

 

正確性と整然性のどちらを今求めているのかをきちんと把握する必要があるでしょう。

 

何も信じられなくても、歩むことを止めるな

 

デカルトは自分の思考を徹底的に疑ってみた人でした。

しかし、デカルトのすごいところは何もかも信じられないという状態でもとりあえず信じておくかと判断を停止するところにあります。

 

次の引用文、

 

「工事の期間中、居心地よく住める家をほかに都合しておかなければならない」

 

に見られるように、デカルトは徹底して実利の人だったんです。

だから、『方法序説』をビジネス書として読むという試みが成り立つのです。

 

もしも、懐疑論でとどまっていたならば、デカルトはここまで世の中で珍重される人にはならなかったでしょう。

 

デカルトに学ぶ人生の歩み方

 

デカルト自身はすごく仕事ができる人でした。

彼は自分の人生をちゃんと生きながらも、人生において本当に確実なものは何かを探求した人でした。

 

なにせデカルトは貴族なので、たくさんの部下を持つ立場にあります。

そのような立場で思い悩み、足を止めることは許されないことでした。

 

そのように立場を守りながらも、現代に通ずるほどの思想を生み出したところがすごいのです。

 

彼の本質はビジネスマンでした。

 

それでは、デカルトの主張をまとめます。

 

デカルトはかつての学問に疑問を持っていました。

雑然としている学問をもっと整合性の高いものにしようと勤めました。

 

そのように整合性を高めることは現代の複雑な業務においても非常に重要です。

きっと『方法序説』は人が仕事限り、永遠に古びない本となるでしょう。

 

まとめ

 

デカルトは仕事ができるビジネスマンとしての面も持っていました。

彼は貴族だったので、戦争に赴く必要があったのです。

 

そして、きっとそこでデカルトは上司としてすごくありがたい存在だったと思います。

 

正確性を重視しながらも、実利を忘れないその性格は抽象的になりやすい学問の世界を具体的にしました。

 

しかし、後々デカルトが唯一確実であるとされた

 

「我思う故に我あり」

 

が物議を醸し、哲学会で今でも残る問題として残り続ける「心身問題」を生み出してしまいました。

 

しかし、デカルトとしてはそんな問題が生じること自体不本意なものだったでしょう。

まさか哲学を確実にしたつもりがもっと混乱させてしまうなどとデカルトは意図していなかったからです。

 

 意図しないように読まれてしまうことは本にはよくあることです。

しかし、古典を読むならば、当時の事情を省みて、デカルトが実際にどんなことを伝えようとしたのかを考えてみるのが重要です。

 

今この記事を書いて、

 

「なんで古典は正確に読解しないといけないの」

 

という疑問が解決しました。

 

やはり意図を間違えられてしまうのは悲しいことですからね……。

当たり前のことだと言うのに、いまさら気づきました。

 

そのように気づきを多く与えてくれるところが

方法序説』が哲学に触れる人が一番始めに読むべき文章とされている理由なのでしょう。

 

読了ありがとうございました。