うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

哲学科卒業生が考えるトロッコ問題

 

 

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はじめに

 

緊急事態に倫理はどれだけ役立つのか考える、ほうじょうです。

 

今回は

 

ロッコ問題という極限状態における倫理の話をします。

 

ロッコ問題を考える中で自分のなかで出した答えを話します。

 

ロッコ問題とは何か

 

さて、まずはトロッコ問題とは何かという話から始めましょう。 

 

あなたはトロッコを遠隔操作する人です。

 

しかし、問題が発生しました。

なんと悪い人が線路上に5人の人間を縛り付けたのです。

 

このままではトロッコが5人の人を引いてしまいます。

さあ、あなたの手元にはレバーがあります。

車線変更すれば、5人の人が助かります。

 

あなたはレバーを手にかけようとします。

 

するとあなたは気づきます。

悪い人はなんと車線変更した先にも人を縛り付けているではありませんか!

 

しかし、そちら側には一人しかいません。

 

さあ、いつの間にかあなたの隣に立っていた悪い人がささやきます。

 

「あなたはレバーを倒して5人の人を助け、一人の人を殺しますか?」

「それとも、何もせず5人の人を見殺しにして、一人の人を助けますか?」

 

ロッコ問題の概略は以上のようなものです。

 

もともとは、アメリカの哲学者マイケル・サンデルが提案したものです。

原文とは違いますが、今回はわかりやすくするために悪い人に登場していただきました。

 

さあ、あなたはこの状況でどうしたいですか?

そして、どうすると思いますか?

 

あなたはレバーを倒せますか?

 

この問題は極限状態において人は何を正しいと思い、どのように行動するかを

わかりやすくするための思考実験です。

 

昨今の哲学ではこの思考実験というのをよく行います。

他にも「水槽の中の脳」や「世界5分前仮説」などの思考実験が行われています。

後々、これらの問題についてもお話したいと思いますが、

今回は控えさせていただきます。

 

さて、今回の問題を整理しましょう。

 

まず、トロッコは止まることができません。

そして、あなたには3秒の猶予しかありません。

その状態で人の生き死にを判断する必要があります。

 

あなたはその手にあるレバーを倒すことで5人の人を救うことができます。

しかし、レバーを倒すことで本来死ぬはずではなかった一人の人が死んでしまいます。

 

例えるならば、そのレバーは銃の引き金です。

あなたは銃の引き金を引くことで5人の命を救うことができます。

 

しかし、あなた自身の手で一人の人間を殺す必要があります。

 

さあ、あなたはレバーを引けますか?

あなたは5人の人を救うために自ら人を殺すという選択を取れますか?

 

この問題の本質は以上の点に集約されます。

 

「あなたは多数の人を救うために少数の人を殺す事ができますか?」

 

ロッコ問題の2つの問題

 

実はこのトロッコ問題、2つの問題が含まれています。

1つ目は普段の日常における倫理観と緊急時における倫理観は全く異なること

2つ目は倫理観を持っていることと実際に行動するかどうかは別のことだということ

 

以上の2つの問題が含まれています。

 

それでは、この問題を一つずつ整理してみましょう。

 

レバーを倒すことに対する普段の考え

 

あなたは今自分の部屋やカフェなどのリラックスできる場所にいるとしましょう。

あなたは自由にレバーを倒すかどうかお話することができます。

 

レバーを倒せば、5人の人が救えるのならば倒すしかないじゃないか!

という人や

でも、それって本来死なない人を殺しちゃうってことだよね……

という人。

 

ロッコの前に石でも積めば良いんじゃない?

と問題をそもそもなくしてしまおうと考える人。

 

だいたい大まかに分けて、3種類の答えが出てきます。

 

この問いには答えはありません。

しかし、だいたい答えには3種類の傾向があります。

 

  • レバーを倒す派
  • レバーを倒さない派
  • そもそもレバーを倒さずに問題を無にしようとする派

 

以上の3つの意見のどれかにあなたの答えは分類されるでしょう。

 

緊急時にレバーを倒すことを強いられるときの考え

 

さて、今まであなたは安全な場所にいました。

しかし、あなたはその考えを持ちながら、突然トロッコ操作室にワープさせられます。

 

さて、あなたの隣には悪い人がいます。

そして、例の話を始めます。

 

そして、悪い人は聞きます。

 

「あなたはレバーを倒しますか? それとも倒しませんか?」と。

 

ここで生じる問題は

「普段考えていることが緊急時に発揮することができるのか?」

ということです。

 

さきほど、私は普段の考えを3つ紹介しました。

 

1つ目はレバーを倒す派

2つ目はレバーを倒さない派

3つ目は問題をなくそうとする派

 

これらのうち3つ目の可能性は完全に排除されました。

あなたはレバーを倒すか倒さないか、

それ以外の選択肢を完全に悪い人に潰されました。

 

問題生じさせない派は突然レバーを倒すか倒さないかの選択を迫られることになります。

 

さらに、レバーを倒す派の人も突然のことにびっくりします。

そして、目の前のレバーがあなたにとって重みのあるものに変わります。

 

あなたはレバーを倒すことで5人を救うことができます。

しかし、レバーを倒さないことで1人を救うことができるのです。

 

さあ、あなたはあえてレバーを倒すことができますか?

 

ちなみに私はレバーを倒せないと思います。

レバーを倒すことで1人の命を奪うことになるためです。

私がその事実に耐えられるほど強い人間だと思いません。

 

しかし、同時にレバーを倒さなかったことによって5人を見殺しにすることになります。

私はレバーを倒さなかったことを一生後悔するでしょう。

そして、仮にレバーを倒しても後悔するでしょう。

 

この問題はそういう問題です。

極限状態で等しく価値あるもののどちらかを捨て、どちらかを選ばなければならない時、

人の倫理観は役に立つのかという問題です。

 

数秒で人の命の価値を選択するのは可能か?

 

この問題、実はアンケートが取られ始めています。

 

https://www.gizmodo.jp/2017/01/mit-moral-machine-self-driving-car.html

誰の命を救うべきか...自動運転車が抱える「トロッコ問題」MITがウェブ上でアンケート開始

 

ちなみに大学の講義でやったとき、大体の人は

「倒さない派」でした。

ちなみに私は置き石をすればいいんじゃない?派でした。

 

どちらにせよ、私の受けていた講義、哲学科のゼミにおいては

倒さない派が圧倒的多数でした。

 

このような少ないデータですが、一応この「倒さない派が多数だった」という事実を考慮して考えていきます。

 

さて、平常時ですら私達はトロッコの操作レバーを倒すことができませんでした。

平常時ですらレバーを倒す選択を取れないのですから、

緊急時にレバーを倒すことなど到底不可能でしょう。

 

あなたは3秒でレバーを倒すかどうか迫られます。

3秒など私達にとって一瞬に過ぎません。

反射的にレバーを倒す必要があります。

 

悩んでいる暇は2秒だけ与えられます。

その2秒で人の命の価値を選択できますか?

 

もう一度言いますが、

私は選択できません。

 

3秒間、考えた挙げ句にレバーに触れもしないまま

ロッコは5人を引いて、走り去ってしまうでしょう。

 

後には5人の骸が残るばかりです。

 

さて、もう一度聞きます。

みなさんはレバーを倒すことができますか?

 

ロッコ問題は現実の問題でもある

 

ロッコ問題という思考実験は割と有名です。

哲学に興味がない方でも聞いたことがある方は多いでしょう。

 

それはトロッコ問題が単なる考えにとどまらず、

現実の私達の問題でもあるからです。

 

例えば、政治問題・災害・犯罪・テロリズムなど。

私達はそれらの問題に直面して、選択を迫られます。

 

大を取るか小をとるか。

私達は常に選択を迫られています。

 

非決定のままでも物事は先に進んでいきます。

後悔しようがお構いなしに、です。

 

ロッコ問題が私達に提起するのは

「あなたは普段から何かを捨て、何かを得る選択をしていますか?」

という問題なのです。

 

非決定を責められるのか

 

さて、ここまでの話をまとめます。

 

ロッコ問題とは

自らの意志でよりマシな選択肢を選ぶことができるかを問いかける問題です。

 

そして、意志を発揮できずに、マシな選択肢を取ることができなかった時、

あなたや私は責められるでしょうか?

 

私は責められると思います。

どうして自分はよりたくさんの人を救えなかったのだろう……と

まずは自分が責めに来ます。

 

そして、世間様が私を責めます。

どうして5人を見殺しにしたんだ?と。

 

法律は私を責めません。

極限状態における判断には情状酌量の余地があるためです。

 

ちなみに意志を発揮しても、責められます。

殺すことを選択しているわけなので。

 

自分も世間も責めます。

法律は責めません。

 

全く同じ問題です。

 

あなたはどちらを選択しても後悔します。

 

だからこそ、第3の選択肢を探してしまうのです。

置き石でもすれば良いんじゃないか?

ロッコをなんとかして止める方法はあるんじゃないか?

 そうやって考えることになります。

 

そして、第3の選択肢が現実でもあることはたまにあります。

 

だから、私はトロッコ問題が生じないように努めることを自分の答えにしました。

 

どうあがいても絶望。

しかし、あがけるならば、あがいてみせようじゃないか。

 

ロッコ問題と現実が違うのはそこです。

 

一応あがくだけの余地がまだ残されている問題が多いのです。

 

だから、私達は理想を求めるのです。

理想だけが私達に責任を負わせないからです。

 

まとめ

 

今回はトロッコ問題を自分なりにまとめてみました。

 

ロッコ問題には

  • 普段の倫理観
  • 緊急時の倫理観

 

という異なる倫理観を見せてくれます。

 

普段時間があるときはトロッコ問題に対してあれやこれやと考えることができます。

 

しかし、緊急時に一度陥ってしまえば、

私達は非決定のまま終わることになるでしょう。

 

現実にもトロッコ問題と同じ問題は多数存在します。

 

社会問題と呼ばれているたぐいの問題はすべてトロッコ問題に還元することができます。

 

しかし、現実の問題には割と考えるだけの時間的余裕があります。

その場合、私達は第3の選択肢を探すでしょう。

 

それだけが私達の心を傷つけない方法だからです。

 

普段から私達は第3の選択肢、極限状態をそもそもなくしてしまうことを前提に

話をしています。

 

しかし、そんな前提が打ち崩されてしまったら?

私達は責任を取る必要がでてきます。

 

その時のことを考えましょう、という命題がトロッコ問題に価値を与えます。

 

さて、もう一度訪ねます。

 

あなたはレバーを倒すことができますか?