うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

哲学科卒業生と読む古典 『方法序説』

 

 

はじめに

 

ブログタイトルに忠実に従いたいのにできていない、ほうじょうです。

 

哲学を知りたい!

古典を読みたい!

でも、どこから何を読んでいいかわからない!

そんな方には『方法序説』をおすすめします!

 

なぜなら、『方法序説』は権威ある古典にもかかわらず、一般の人向けに可能な限り簡単な言葉で書かれているためです。

方法序説』はデカルトという偉い人が一般の人向けに書いた本です。

実は『方法序説』は『省察』というもっと難しい本を簡単にしたものです。

ということは、デカルト自身が自分の本の入門書を作ってくれていることになります。

エッセンシャル版とも言えるかもしれません。

とにかく、哲学を感じるためには最も平易ながらも、重い内容を持つ『方法序説』を私はおすすめします。

 

古典の読み方

 

いくら一般向けでも『方法序説』を初めて読む場合は非常に難しいです。

なぜなら、非常に抽象的だからです。

それと時代が400年ぐらいずれています。

1600年台に作られた本のため、文章表現が古めかしい部分があります。

そのあたりはある程度翻訳でカバーされていますが、どうしても読みにくい場合があります。

 

その時は、ひたすら音読することや書き写してみることをおすすめします。

体に古典をしみつけるのです。

そして、親しみを感じましょう。

古典を、『方法序説』を自分に引き寄せてください。

 

古典を抽象的で難しく感じた場合、多分自分の関心に合わないと感じているときでしょう。

そのため、自分の現在の関心を思い起こしてください。

思い起こしながら読んでください。

 

私の読み方

それでは、一旦私が『方法序説』の第1章の一番始めを読んでみたいと思います。

 

例えば、第1章では

「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。」

と始まります。

んっ? 本当か? 現実はそうじゃないだろう?

と私は素直に感じました。

素直に自分の考えを浮かべるのが重要です。

 

そして、その疑問についてデカルトはその後の文で答えてくれます。

 

というのも、だれも良識なら十分身に備わっていると思っているので、他のことでは何でも気難しい人たちでさえ、良識については、自分がいま持っている以上を望まないのが普通だからだ。

 

デカルトは人間なら誰でも(内容はともかく)自分は良識を身につけていると思っていると説明します。

それは、人間が真偽を区別する力を持っている証拠だといいます。

そして、理性は全員平等だけれど、思考の方法が異なるから人に差が生まれるのであると説明します。

つまり、現実の差があるのは、方法の間違いによるものであるとデカルトは主張します。

 

ここですでにタイトルの『方法序説』の意味がわかります。

まさに思考の方法を一番始めに説明してくれています。

タイトル通りですね。

 

古典や学術書は小説とは違い、伏線回収は最初にしてしまいます。

それが哲学書の書かれ方です。

学術書全般の書かれ方でもあります。

ビジネス文書もそうですね。

 

要するに結論から書かれているということです。

 

そのため、哲学書は「はじめに」や「第1章」を何度も繰り返し読んで趣旨を確認することが非常に重要です。

一番重要なことは一番始めに説明しているのです。

だから、一番始めを重点的に読むのが一番効率的です。

 

そのため、古典の読み方がわかると他の普通の新書(一般の人にわかりやすく書かれた本)や選書(ちょっとお高いけど、質の高い本が揃った文庫本)の読み方がわかるようになります。

また、その逆もしかり、です。

古典を読む準備のために新書を読むのは十分に良い方法です。

ゆっくりでも確実に進むべきです。

 

ビジネス書と古典の関係

 

やや脱線してしまいました。

本筋に戻ります。

 

デカルトは人が良識を持っているのに差があるのは思考の方法に差があるからであるといいます。

それを含蓄あるたとえ話、具体例で説明してくれます。

 

また、きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。

 

といいます。

 

現代のビジネスの方法論、「必ず目的を定めて、それから逆算思考する」ということに非常に似ています。

大抵のビジネス書はこういった古典に多かれ少なかれ影響されています。

 

ビジネス書だけではありません。

仮にあなたがインターネットしか情報源がないとかテレビや新聞からしか情報を得ないとします。

そういう人でも古典の影響を受けています。

 

なぜなら、インターネットに配信している人やテレビ・新聞を書いている人はたいてい古典を読んでいるからです。

そして、古典の方法論に従って、発信しているためです。

 

さらに、書物は一冊で完結するものではなく、参考文献を代表として数々の書物と関係しています。

そして、最も多くの書物と関係しているのが古典です。

 

なので古典を1冊読むことはビジネス書を100冊読むことと同じ程の効果をもつともいえます。

ビジネス書の参考文献をたどっていったら、必ず古典に当たります。

 

古典とは時間という試練を乗り越えてなお価値を持ち続けている本です。

つまり、それだけ多くの本と関係しているということです。

つまり、古典を中心に世界が構築されているといっても過言ではありません。

それほどに人に大きな影響を及ぼしてきた本が古典として残るのです。

 

古典を自分に引き寄せよう

 

最初、哲学書を読むのは非常に難しいと感じるでしょう。

なぜなら、どの本よりも一番抽象度が高いためです。

当然、インターネットやテレビよりもずっと実態を捉えづらいです。

だからこそ、自分に引き寄せて、自分の具体例を読みながら、適用する必要があります。

 

音読のすすめ

 

古典を身につけるために最も効果的な読書法の一つに音読があります。

(それと同等クラスに書き写すことも効果的です。)

 

黙読とは違い、音読は読めない場所を飛ばすことはできません。

そのため、無意識のうちに難しい箇所を避けるということはできなくなります。

 

そのため、古典を深く読むならば、音読は必須です。

 

きっと音読を繰り返すうちになんか現代にも通じるなと感じるようになると思います。抽象的な話を自分に引き寄せられるようになってきます。

 

(音読をするときは疲れたなと感じたら、休憩を入れてください。30分読むぞ!とか決めないほうがいいです。5分音読でも辛いことはあります。少しでも疲れを感じたら休憩してください。それが古典読書継続の秘訣です。)

 

音読をするのは自分の体に古典を関係させるためです。

 

古典を読む上で一番重要なのは自分に重ね合わせることだからです。

 

とにかく、自分のわかりやすい形に解釈することが重要です。

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

 

古典を読むためには兎にも角にも自分に関連付けることが重要です。

古典を身につけるためには、黙読よりも音読のほうがいいです。

音読と書き写しは同じぐらい価値があります。

古典を読むことは100のビジネス書を読むのに迫るほどの価値があります。

100のビジネス書のベースになっているからです。

 

余談です。

現在、私も方法序説を音読しています。暗写法という行を達成するためです。

暗写法とは、本を見ないで紙に書き写すことです。要するに暗唱の書くバージョンです。これは非常に難しい。その準備をするためにとりあえず音読をしています。

 

読了ありがとうございました。