うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

決意表明 文章と恐怖

こんにちわ、ほうじょうです。

台風も過ぎ去り、暑さも蒸し返しておりますね。

そんな爽やかな空気の中、私はブログを書こうとしました。

しかし、ある想念が思い浮かび、書くことを妨げてきました。

 

それは恐怖でした。

以下は恐怖についてWORDに書きつけたものを引き出してきたものです。

私は書くことを恐ろしく思います。

資格を取ることを恐ろしく思います。

個人情報を提出することを恐ろしく思います。

恐怖が私の進もうという意思を覆い隠し、立ちはだかります。

 

だからこそ、自らの道に横たわる闇を打ち砕く必要があります。

 

そこで私はなぜ書くことを、資格を取ることを、個人情報を提出することを、その他のありとあらゆるものを恐ろしく感じるのか、考えてみました。

 

まず、私はなぜ書くことが恐ろしいのかを考えます。

 

書くことは自らの心中をさらけ出すことで、ありとあらゆる未熟が文章に登場します。

私はそれを知ることが恐ろしい。

今までの自分の未熟を晒す行為は非常に恐ろしいのです。

 

未熟であることは恐ろしいことです。

しかし、未熟であることを知られるのはもっと恐ろしい。

 

だから、私は学ぶ必要があります。

とにかく文章を書き連ねていきたいと思います。

どれだけ恐ろしくとも、どれだけ苦しくとも書き続ける必要があります。

そうしなければ、全く前に進むことはできないためです。

 

自分を追い詰めて、追い詰める。

そこから溢れ出すものを書きつける。

恐れこそが各原動力に鳴る。

この恐れを止めるな。

すべて前に進むための原動力にしてしまえ。

 

恐怖は私達を縛りもするが、行動に駆り立てるものでもあります。

 

資格をとることは恐ろしいことです。

自らの準備不足が、未熟が数値となって現れるからです。

そして、準備が不足して、失敗することほど悔しいことはありません。

何度も失敗し、やがて私は悔しさを忘れることにしました。

そして、資格試験というものを避けました。

 

悔しいという思いを二度と味わいたくないがために、資格試験を受けないのです。

私は悔しさを恐れている。何よりも自分の未熟さ故に、努力不足のゆえに生じる失敗を私は恐れているのです。

私は何もかもが恐ろしい。

 

恐ろしくとも、前に進む必要がある。

前に進む必要があり、圧迫感があります。

圧迫感によって、心臓が押しつぶされるように苦しいです。

しかし、死にはしません。

死なないのならば、安いことでしょう。

死なない限り、文章を書き続けたい。

そうした欲求からは目をそらしたくない。

 

個人情報によって、何らかの悪意あるものの目に止まるのが恐ろしい。

悪意ある存在は理の外にあります。

理解し難く、それは私をからかいます。

電話をかけてきます。

メールを送ってきます。

 

だからこそ、理解したい。

悪意ある存在がなぜ悪意を持つのか。

私の何を求めているのか。

あえて個人情報をさらけ出すことで、彼らの精神を知りたいです。

理解し難くとも、理解できないわけではありません。

思考停止することはできない。

恐怖によって思考停止してしまっていても、体が理解を求めるからです。

私は骨の髄まで悪意を知りたいのです。

悪意の根源を知りたいのです。

 

私は現在収入を得る手段を持っていません。

だから、何もかもが道を塞いでいたとしても、自分は前に進む必要があります。

前に進むことができなければ、夢を達成することはできません。

私は人に思いを伝えたいのです。

この妙な思いを書き付けて、人に読んでもらいたい。

でも、未熟な文章術のせいで人は私の文章を退屈と判断するかもしれません。

それが恐ろしい。

伝えたいのに、伝わらないことが恐ろしい。

 

でも、恐怖程度に我が夢を邪魔させはしない。

書きたい。書いてお金を稼ぎたい。

書いて食料を得たい。

書いて本を手に入れたい。

書いて名誉を得たい。

 

私の未来は恐怖で塗りつぶされたものではない。

決してそう合ってはならない。

恐怖を打ち払うためにはとにかく書きつける必要があります。

 

ここで改めて、決意を表明させていただきます。

 

私は恐怖から逃げません。

面倒なことから逃げません。

面倒から逃げても、自分の成長は望めないからです。

これから私は文章で生きていきます。

お金を稼ぐための文章を書く必要があります。

 

お金を稼ぐためにはこのブログを足がかりにする必要があります。

足がかりを固めても十分すぎることはありません。

足元を固めるのに終始してはいけないが、足元を固めたならば、その後に進む必要がある。

 

私はどうすればいいのでしょうか。

どうすれば、画像を加工することができる用になるのでしょうか。

苦手なことをやる必要があるときに、どのように立ち向かうといいのでしょうか。

 

私は画像を加工して、自分の顔としたいです。

自分の顔を自分で作ってみたいです。

 

自分の顔を作るすべを他人に教わるなどしてはならないと思います。

すべて自分で学び取る必要があります。

自分で調査し、自分で実行する必要があリます。

 

恐怖を振り払い、私は自らの力を信じ、前に進み続けます。

 

私は進歩の観念を私は信じることはできません。

進歩というのがどれだけの犠牲を強いるか知っているからです。

しかし、それでも進歩する必要はあります。

 

進歩できなければ、時間を手にすることができない。

お金を手にすることができない。

口に糊することもできない。

口に糊することすらできなければ、死あるのみです。

 

死ぬのは怖い。何よりも怖い。

だから、生きるために文章を書き、ブログに公開する必要があります。

 

この文章をブログに公開してしまおうと思います。

 

このような葛藤の記録を欲する人がいるかは正直わからないです。

しかし、少なくとも3年前の自分ならば、読んでくれるでしょう。

 

苦痛に満ちたこの文章をかつての私が読んだら、自らのことのように思うでしょう。

しかし、彼は何もしないでしょう。

なぜならば、彼は恐れを知りながら、それに立ち向かうすべを知らないからです。

 

インターネットの恐ろしさを過剰に知っているがゆえに彼は一歩を踏み出せないままでいます。

 

どうすればこの恐怖から逃れることができるのでしょうか。

恐怖から逃れるためには前に進むことあるのみです。

目に蓋をしたところで恐怖は迫ってきます。

前に進むために、恐怖から逃れるためには、恐怖に真正面から向き合い、その正体を見定める必要があります。

 

私は恐怖から逃れる方法を知りませんでした。

これからは正しい方法で恐怖から逃れます。

恐怖の闇を真正面から突き抜けるのです。

 

恐怖の闇を突き抜けてこそ、私の未来は開けます。

恐怖・恐怖・恐怖、すべて我が身を凍らせるものです。

たとえ、身が凍りつこうと目を見開き、恐怖を見定めなければならない。

そうしなければ、ただ恐怖に押しつぶされることしか選択肢は残されていないからです。

 

以上で終わりです。

きっとこれからもこのような心中を明かしていくことになります。

唯自分の心を知るためだけの文章を書いていくと思います。

そのためにブログをはじめたのですから。