うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

やっぱりシャーペンは美術品なのでは? ~シャーペンが美術の教科書に載らない理由

形あるものでも語られていないことがあると思う、ほうじょうです。

 

私、古典をシャーペンでノートに書き写そうと思っているんです。

それでふと思ったんです。

やっぱりシャーペンって美術品なのでは?と。

 

そこで今回はシャープペンシル(本名メカニカルペンシル)が美術品だということを前提にすすめていきたいと思います。

なにせシャーペンは美術品だと私は感じていますからね。

 

そして、自分の感覚抜きにやっぱりシャープペンシルは美術品に含まれるべきだと思うんです。

実用性の高さ、目で見るときのきれいさ、手に触れているときの安心感。

いずれもデザイナーの気遣いを感じられます。

やっぱり、シャーペンは美術品ですね。実用的な美術品です。

 

なので、美術の教科書とかでも取り上げてほしいです。

そうすれば、子どもたちがシャーペンを意識し始めると思います。

無味乾燥な世界が美術品の集まりであると世界の見方が変わります。

少なくとも、日常をつまらないもの、何一つとして美しいものがないという意識を変えることができると思います。

 

でも、なんだか美術の教科書でシャーペンが取り上げられる予感はありません。

そういう流れを一切感じません。

 

私自身は毎日シャープペンシルを使えて、正直に言うとそれだけで喜びを感じます。

 

私はどうして美術の教科書で日用品が紹介されないのか疑問に思いました。

 

そこで今回はシャープペンシルがなぜ美術の教科書に載らないか、理由を考えてみます。

 

そこで一旦なぜ美術の教科書に載らないのか、根拠を3つ考えました。

  1. 大量生産品であること
  2. 日常にありふれていること
  3. 上げていくとキリがないこと

 

以上の3点が根拠となるでしょう。

なんだか悔しいので、これらについて反論していきます。

 

まず、1つ目に考えられるのはシャープペンシルが大量生産品であることです。

大量生産品だから、芸術家の手によっていない。

だから、美術の教科書に載らないという理論です。

 

しかし、この発想には重大な欠陥があります。

 

シャープペンシルを最初にデザインした人が芸術家と呼ばれるに値しないかは疑問視する必要があるからです。

 

まず、美術とは、人間の精神を表現したものかつ美しいものであると定義されているとします。

美しいものはもっと細かく言うと感覚で美しいと感じられる情熱的な美しさと不快感がないという冷たい感じの美しさがあると思います。

 

多分、みんなだいたい美術とはこんな感じのものだと同意を得られると思います。

しかし、美術が人間の精神を表現したものかつ美しいものならば、当然シャープペンシルも芸術品の中に含まれます。

この場合、冷たい美しさがシャープペンシルにはあります。

 

そして、仮にシャープペンシルは大量生産されているから美術品ではないと反論されたとします。

美術の定義はだいたい人間の精神の表現かつ美しいという合意を得ています。

それならば、同じデザインのものを複製したところで人間の精神の表現であることには代わりがありません。

そして、美しいものだけが私達のもとに届けられます。

ということは十分に美術の定義にシャープペンシルは当てはまることになります。

大量生産品であることは美術品ではないということにはならないのです。

 

2つ目は日常にありふれていることです。

これに反論するのは、少し骨が折れます。

 

一旦、その他の芸術分野を取り上げてみます。

日常を題材にした絵画や写真は美術や芸術として扱われますね。

ということは日常にありふれていること自体は芸術たることをやめさせる根拠にはなりません。

 

しかし、絵画を描くとか写真を撮るとかそういった手間がここで加えられています。

こうした手間がシャープペンシルにはないじゃないかということです。

シャープペンシルを作るときには、機械で作られるイメージがありますからね。

 

これに関しては非常に複雑な問題になります。

 

シャープペンシルのデザインをする、生産用の機械を用意する、商品としての価値を管理するなどなど、それ以外にも様々な形で人の手が入っていたりします。

そして、もちろん機械によって賄われている部分も多くあります。

 

そのため、結論だけ言います。

 

やっぱり、それでもシャープペンシルが美術品であることを否定できません。

 

デザイナーの人がいる時点でシャープペンシルには美術における手間はかけられています。

そして、デザイナー以外にもシャープペンシルは一定の基準にしたがって、選別の工程を経ています。

そのため、考えられるのは一つ。

単純に美術の定義をシャープペンシルに当てはめなかったことです。

それは製作者が匿名なことが多いことと関わる人が多すぎることそして、機械が関わることによって生じている問題だと思います。

あえて言うならば、デザイナーが一応シャープペンシルの美術的な名前を関するにふさわしいのでしょうか。

誰が製作者なのかわからないところにもシャープペンシルを有する大量生産品を美術にするのを妨げる要因があります。

とりあえず、デザイナーの人が自分の作品であると主張しないがために、シャープペンシルは現状美術品ではないのです。

 

ということは、デザイナーの人がシャープペンシルはやっぱり美術だった。

やっぱり、自分の名前をつけて、公表しようということになるとします。

そうすれば、シャープペンシルも美術品の仲間入りすることができます。

あくまで可能性として残るということですが。

 

3つ目はシャープペンシルを美術品にするんだったら、綿棒とかペットボトルとかお菓子の包装やスマートフォンなどなど、ありとあらゆる工業製品が美術品となりうるということです。

もしも、ありとあらゆる工業製品が美術品として認められるとします。

その場合、美術の教科書の編集が非常に難しくなりますね。

 

なんだか噂では教科書を作るのは非常に難しいという話を聞いたことがあります。

(少なくとも、インターネットでちょっとググった程度では教科書を作るのがどれ位難しいかはわからないです。)

 

そこにこのような発想が入ってこれば、教科書作成者の人は混乱してしまうのかもしれません。

 

ということは、物理的に、制度的にシャープペンシルを美術品として教科書に載せることが難しいと考えられます。

 

もしも、美術の教科書・資料集が今の倍以上の大きさになったら、みんな困るでしょう。

後、編集者も膨大な作業量になって、大変になります。

だから、シャープペンシルは美術品ではないとしておく必要が出てきます。

みんな、疲れるのは嫌いなので。

 

しかし、美術をそんな狭い枠組みでとどめておいていいのでしょうか。

物理的な制約・制度的な制約程度でシャープペンシルの美しさを認められないのはおかしいとは思います。

困難なことだとは思いますが、いつかはシャープペンシルも美術品に含まれてほしいです。

 

 

ありとあらゆる製品が美術品として認められるまで、私は発信し続けたいと思います。