うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

哲学者卒業生が考える実存主義という劇薬

 

 

はじめに

 

苦しいことこそが存在であると思う、ほうじょうです。

 

今回は

実存主義についてアウトプットする記事となります。

39度の熱が3日も続くと思い出されるものが実存主義です。

 

 

utakatanoatosaki.hatenablog.com

 

この記事の振替でもあります。

 

実存主義とは何か、気になる方や

めっちゃ苦しいけど生きながらえている方におすすめです。

 

結論から申し上げますと

実存主義とは「苦しいのに生命から逃れられない」ということです

どのような関係にも存在にも苦痛が伴うということを哲学的な分野として

扱うものです。

 

実存主義は重く苦しい思想なため注意してお聞きください。

 

39度の高熱が3日続くと……

 

先日、私は金曜日から水曜日にかけて風邪をひいてダウンしていました。

特に土曜日から月曜日などは39度の熱が3日も続きました。

 

ちょっと遺書でもしたためて、

残された家族の悲しみを軽減しようかと思いました。

 

……体調が悪すぎてパソコンに向かえませんでした。

 

ちなみに

お休みのお知らせはどちらもスマホから書かれています。

 

極限状態でもいじれるほどにスマホは手軽なんですね。

やっぱりスマホは神なのでは……?

 

……さて、苦しみにさいなまれているとなんで生きる必要があるんだろうと

考え始めてしまいますね。

 

…………。

 

考えるとしましょう。

 

そうして生きる理由を探し始めてしまうこと。

そしてどれだけ苦しくても生きなければならないことに気づいてしまうこと。

それを大まかに実存主義といいます。

 

要するに実存主義は命に対しての全面的な肯定ではありません。

どちらかというと生きていることに対する絶望について考えます。

 

はい、というわけで健康な人は触っちゃだめです。

実存主義はほぼ劇薬なので、

健康な人が服用しますと重篤な副作用が起こりえます。

 

注意してください。

 

実存主義の役割

 

さて、実存主義がどういう人向けなのかお話しました。

次は実存主義の役割をその成立から論じたいと思います。

 

実存主義は世界大戦の動乱の中ではぐくまれてきました。

 

戦争で財産は崩壊するし、人名も奪われる。

おまけに病が蔓延している。

ガレキの積み重なったかつての自分の故郷を眺めやる。

 

そんな状況に対して実存主義という思想は生まれました。

 

どれだけ破壊されつくしても、友も家族も失ってなお自分は生きながらえている。

存在してしまっている。

いったいどうすればいいんだ……?

 

それに対して実存主義は答えを出そうとします。

あえて言うならば、一時的な精神安定剤としての役割を実存主義は果たします。

 

なぜ故郷はガレキになる必要があったのか?

なぜ人々は殺しあう必要があったのか?

なぜ病からは逃れられないのか?

 

そういった疑問に徹底的に真正面からぶつかることが実存主義の役割です。

 

レヴィナス

 

実存主義を私が学び始めたきっかけはレヴィナスという人でした。

 

私はレヴィナスという人を専門的に学びました。

レヴィナスイリヤという存在してしまっていることに対する絶望を

哲学としました。

 

私はレヴィナスの『時間と他者』を何度も読み返し、

体に実存主義を叩き込みました。

 

存在してしまっていること。

苦痛とともに存在してしまっていること。

それでもなお他者を重んじ、

自らが潰えてもなお他者に対する全幅の倫理を注ぎ続けること。

 

それがレヴィナスにおける実存主義です。

 

私はこの思想に感銘を受けました。

 

他人に配慮せざるを得ないこと。

他人に配慮することは意思によって行われるのではなく、

自動的に、そして強制的に行われるものです。

 

確かにその通りだと私はつたなくも思いました。

 

そういえば、自分もそうやって無理やり自分を生につなぎとめてきたなと。

レヴィナスの著作に触れて思いました。

 

今でも他人に配慮せざるを得ないという気持ちは残り続けます。

だから、私は半分引きこもりなんですが……。

 

ものすごい納得をしました。

そうか他人とかかわるのが嫌なのは他人に配慮しないといけないからなのかと。

とても納得できました。

 

この「他人に配慮せざるを得ないという強制」はどのような人にも適応されます。

見えているかいないかの問題です。

 

ちなみに私は全種知覚過敏を持つため、

視界内に存在するすべての他者に対して配慮することを自らによって強制されています。

 

はい、当然疲れます。

こういう倫理に狂った獣にこそ実存主義はふさわしいのかもしれません。

 

ちなみに実存主義で有名な人は

一番時代が古い人でキェルケゴール

最近ですと、サルトルですね。

 

それぞれ生命の苦痛に対処する方法は異なっているため、

参照してもいいと思います。

いずれも個別に取り上げるだけの勝ちがあるため、

もしかすると取り上げるかもしれません。

 

まとめ

 

今回は自分の根深いところにまで侵入している実存主義を解釈してみました。

本来の実存主義の解釈とは異なる部分もあるかもしれません。

その場合はご指摘をお願いします。

 

必ず何らかの回答をします。

私にはその義務があります。

私の中ではそうなっているからです。

 

どしどしコメントをぶつけてください。

 

つぶれるかもしれませんが、コメントでつぶれるならば本望です。

それが私にとっての生きることだからです。

 

ここまで激重な文章を読んでくださった方には格別のご恩を申し上げたいです。

 

ご読了ありがとうございました。

 

参考文献

 

『時間と他者』 エマニュエル・レヴィナス 著 原田佳彦 訳 1986