うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

たたき伏せられてもなお立ち上がり続けること ほうじょうのあとさき

 

 

はじめに

 

形にできなかったものを形にし続け、過去の自分に報いる、ほうじょうです。

 

今回は

 

自分の自立というテーマから自分がどのように立ち上がり続け、

どのように進んでいったか。

それを形にしたいと思います。

 

ほうじょうの生まれるところ

 

私は物静かな子供でした。

本が好きでよく眠る。

 

夜の9時に眠っては朝の10時に起きる。

そんな生活をする子供でした。

 

もう子供時代から打たれ弱さ全開ですね。

自分で歩いていてもいろんな意味でよく転ぶ子供でした。

 

膝に生傷は絶えず、心に刺さったとげは数知れず、です。

 

幼稚園では遊びはしますが、特定の中のいい友達は1人ぐらい。

社交的ではありますが、内向的でもある。

そんな性格でした。

 

大学に入るまではものすごく泣いた記憶がありますが、そんなことは詮無きことです。

私は強烈にストレスに弱かったのですから。

 

立とうとしては転び、立ち上がりかけては転ぶ。

物理的にも精神的にも這いずることに慣れてきたものです。

 

割と良かった小学校

 

私は小学校でも毎月のように泣いていました。

いじめられていた、そういう実感はありませんでした。

 

嫌いな子がいるとか宿題が強烈に嫌なこととかフィールドワークが嫌なこととか。

そして、絵を描くのが泣くほど嫌いでした。

文字通り絵を描きながら苦痛で泣いたこともあります。

 

ですが、そんなデメリットはお構いなしに楽しい記憶がたくさんあります。

童話が面白すぎて、毎日1冊読んだり、

嫌いな子と遊んでも楽しかったり。

 

小学校は楽しい記憶しかありません。

いやなこともありましたが、そんなものは中学で吹き飛びました。

基準が下がったのです。

下には下がいるものです。

 

前に進むごとに劣化していく教育

 

学級文庫がない。

中学校に入って一番びっくりしたことでした。

衝撃的な経験でした。

 

まさか学級文庫は自分の小学校にしかないものだったのか。

それに衝撃を受けました。

 

さらに自分とかかわりがないのにものすごく嫌いな人が出ました。

その人と遊んだことは一度もありません。

なのに私はからかわれます。

笑われます。

 

そんな状況に涙を流すこともしばしばありました。

 

倒れてはまた起き上がり続けました。

中学校も今思えばまあまあ楽しかったかもしれませんが、

二度と学校には通いたくないなと思ったのはご愛嬌。

 

高校主催での地獄体験ツアーに参加

 

ですが、その程度のこと生優しい本物の地獄を私は高校に見せてもらいました。

その高校は非常に効率的な方法で私を苛みました。

愛嬌などすべて奪い去られます。

 

高校ではなんと換気の習慣がなかったのです。

というか、換気しようとすると怒られます。

 

信じられませんでした。

 

クーラーがついているから、暖房がついているから。

そんな理由にもならない理由で換気を妨げられました。

 

いや、それはむしろ換気するべき理由なのでは?

そんな提案は完全に無視されました。

 

まさか自分の信じてきた常識を、全人生をこんなところで

否定されるとは思いもよりませんでした。

仮にも高等学校を名乗る場所で行われた鬼の所業に私は絶望しました。

 

それでも、絶望してもなお換気を積極的に行いました。

教師が積極的に私の邪魔をしました。

 

教師自ら!? 教師自ら換気の邪魔をする!?

 

信じられませんでした。

私の信じてきたものすべてを否定されました。

 

学校というのは勉強するための場所。

勉強の環境を整えてくれる場所。

そんな常識を打ち砕かれました。

 

学校の構造自体も息苦しく、風通しの悪い場所でした。

教室も狭く、空気も悪い。

 

にもかかわらず換気はしない。

換気をしないだけではなく、私が換気するのを邪魔される。

 

私は今までの人生がどれだけの幸運に恵まれていたのかに気づきました。

地面の底にも世界はあります。

人はこんなにも簡単に地獄を生み出すことができるのか。

私はこの地獄に1週間で見切りをつけて、やめようと思いました。

 

3日だったかな? 1日だったかもしれません。

そのあたりは記憶がありません。

そもそも高校時代何をしたか全く覚えていないので。

 

しかし、そのようなことを親は許してくれませんでした。

何度もその地獄を説明し、逃れる手段を説明しましたが、

逃れることはできませんでした。

 

何度も自らの生命が終わらないか望みました。

これほどに劣悪で醜悪な場所に3年も居続けなければならないことに絶望しきっていたのです。

 

その時に私は自分をこの世に縛り付けるための鎖、自殺してはならないという鎖を作りました。

 

家族、捜索隊の人、ビルの所有者、などなど私の死によって困る人のことを考えました。

計画の邪魔をする人、私をこの世に縛り付ける鎖。

私は自らの内側からかき乱されるような衝動を鎖でがんじがらめに固めました。

 

まあ、あえて言うならば死に場所は学校のコンクリート、校門付近がいいでしょう。

この場所が地獄であることの標識になろうかなーと思っていました。

 

しかし、何とかいろいろな手段を駆使して、学校を適度にさぼりながら、

ときには行方を眩ませながら、3年間を過ごしました。

 

おかげさまで何とか高校という名の地獄から出所。

晴れて自由の身となりました。

 

地獄体験ツアーの3年間。

非常に長いようで長い3年間でした。

本当に長かった。

今でもなお夢に出ます。

 

もう二度と戻ってこないぞという決意を固め、

卒業式をさぼり、早々に家路につきました。

 

卒業式に単位はありませんからね。

 

大学で初めて知る本物の教育

 

大学の講義はどれも刺激的なものでした。

高校時代、なぜか倫理が一番得意だったこと。

倫理の教科書でえらい哲学者の人がいうことに納得できなかったこと。

 

そこから哲学科なんて自分に合っているんじゃないかなと私は思いました。

 

そして、私は何とか私立大学の哲学専攻に進むことができました。

 

本当は学校になどもう二度と通いたくなかったのですが、

親に力づくで押し切られました。

 

ですが、入った先にある大学はまさに天国。

この世の天国でした。

 

それはそれは楽しい日々で筆舌に尽くしがたい。

どれだけ発言をしてもとがめられない。

勉強をすると褒められる。

私はここで初めて自分が学ぶことが好きだというのに気づきました。

 

私は地面を這いつくばり、重圧に耐えながら這い進んでいました。

ですが、大学で少しずつ生まれたての赤ちゃんがものにつかまって立ち上がるように、

少しずつ立ち上がっていきました。

 

就職できない!

 

しかし、12年間受け続けた拷問により身も心もボロボロだった私は

4年間の大学時代では心をいやすことができませんでした。

 

12年間のツケを払うためには12年間必要ですよね。

ちょっと目論見が外れましたね……。

 

そんな状態で大学4年生が来てしまいます。

就職活動の時間です。

 

はい、就職活動が4年生から始めると考えている時点で結果はお判りでしょう。

さあ、結果から申し上げますと……。




 

 

 

私の就活は失敗しました。

 

そもそも就活したくなかったんですよね。

また高校みたいな環境になると嫌だな……。

8時間の労働に耐えられるかな……。

耐えられないな……。

 

それと面接。

面接がどうしてもうまく受けられない。

尋問を受けているようでものすごくしゃべりずらい。

どうしてこんなもので人を測るのだろう?

 

疑問に感じました。

 

噂では高校など生ぬるいほどの強制労働が行われている場所も多いとか。

 

そんな疑問や不安が渦巻き、就活に積極的にかかわれなかったのです。

 

そこで私は親を理由に持ち出しました。

親が悲しむから、親にお金を返すために。

 

そのためだけに就活するようになりました。

 

うん、まあ、当然失敗しますよね。

態度が舐めているもののそれになりますからね。

気持ちは舐めてなくても、態度は舐めたものになりがちですからね。

 

発達障害発覚

 

就職ができない。

その事実に私は「やっぱり」。

そんな感想しか浮かびませんでした。

初めから無理なものだとわかりきっていました。

 

それが1年かけて発覚しただけ。

両親の安心のためだけに就活を続けてきた私はそう感じました。

 

ですが、本当に就職できないと両親の心労が非常に激しいものになります。

ついでに私にかけられてきたお金を返済することができません。

 

これではいけない。

何か手段はないだろうか……。

 

そんなことを大学の相談支援員の方に相談しました。

 

すると支援員の方が

「もしかすると発達障害なのではないか?」

そのように提案していただきました。

 

うすうす発達障害、特に自閉症の気質があるかもしれない。

私はそう感じていました。

 

そのため、なんとなく発達障害の本を手に取っていました。

大学2年生の頃のことです。

 

その本によると現在では発達障害自閉症スペクトラム障害と呼ぶらしい。

人によって程度も症状もすべて異なっている。

だから、一元的に障害をくくるのではなく、虹のように障害の程度がグラデーションしているのだと聞きました。

 

これは……、もしかすると……。いや、ほぼ確実に……。

 

私は相談支援員の方の提案を受け入れ、テストを受けました。

そのテストはWEIS4というもので、8つの項目をいくつかのテストを通して、

確認するものでした。

いずれの項目も20点満点です。

 

案の定、能力に著しいでこぼこが表れていました。

特に言葉を感じ取る能力に対して似ているものを区別する能力に

6ポイントも差がありました。

 

総合的なIQは108程度。

しかし、言葉に関してだけは130相当ありました。

さらに認知と運動に全体的な差がありました。

つまり全体的に意識に体が追い付いてきてないということです。

 

その時、脳裏をよぎるのはソフトボール投げでたたき出した2mという記録。

ありとあらゆる人に負ける学年の最底辺。

 

自分の中ですべてがつながりました。

 

この能力の凸凹が私なのだと。

 

狂人の確信

 

発達障害が発覚した時、正直に言いますと安心しました。

 

(よかった……。ちゃんと自分は社会から見れば十分狂っていたんだな。

 自分の自己分析は正しかった!)

 

そういう思いを抱きました。

実際取り扱いも狂人に対するそれでしたからね。

 

卒業論文でも狂気について取り扱いました。

精神医学も触りだけ学びました。

 

そのような興味関心に移り変わっていたのもすべて自分は狂人なのでは?という懸念からでした。

思考回路がそもそも違いますので、狂っているとかそういうのではないですね。

 

まあ今まで受けてきた所業を考えれば、狂っているのはまあお互い様ですね。

 

発達障害が発覚してから

 

発達障害が発覚したところで今までとは何も変わりません。

障害が発覚してからは差別などは一度も受けたことはありません。

 

むしろ好転しました。

 

今までの待遇が人間に対する所業ではなかっただけで

場所を選べば、人間らしい生活ができることを知りました。

 

おかげで就労移行支援事業所にも通えるようになりました。

 

過去よりも現在は前に進んでいるという実感が常にあります。

 

何よりも就職活動を継続できるところに私は少し安心しました。

自分が社会に、会社に所属したいのは両親のためだけではない。

会社という現在最も「普通」な場所に所属して、自分の知らないものを経験したかった。

そういう思いがあることに気づいたのです。

 

ブログも始めることができました。

何かを書かなければ……!

 

使命感にかられ続けてもなお書き出すことはできずに混乱しているところに

ブログという形態が姿を現します。

 

なんとブログは2000文字程度を毎日書けば評価されるというではありませんか!

 

体力が低く、計画性もない私には最適な形態です。

 

毎日文章を書く理由ができる。

文章を人に見てもらえる。

ほめてもらえる。

 

なんということでしょうか!

 

自分の性格にこれほどあった形態はない!

 

私は1か月かけて、ゆっくりと飛びつきました。

 

私の自立

 

これからはこのブログの毎日更新を続けながら、就職活動を継続します。

もしも就職して忙しくなったとしても、

毎日更新をやめることはありません。

 

なぜなら、ブログこそが私の生きがいにふさわしいと思ったためです。

 

別に直接ライターの仕事をする必要はありません。

特別に編集職や校閲職に所属する必要もありません。

 

ブログに書きつけていけばいいわけです。

 

私にとってはこの「うたかたのあとさき」自体が私の自立の証です。

ブログを初めて本当に良かった。

 

まとめ

 

今回は自分の半生を通して、生きあがき、死を肌に感じようとも前に進むことを選択し続けてきたことに気づいた記事でした。

書いてみるものです。

 

自らのすべて、それをこの「うたかたのあとさき」にたたきつける。

泡のようにはかない、思いをすべて形に写し取る。

 

それこそが私が私であること。

泡の生まれるところと書いて、泡生(ほうじょう)。

それが私です。

 

私はすでにこのブログを通して、自ら立つことを選択しつつあります。

 

いまだに小鹿のように震える、不安定な自立ですが、

私は自分の心において自立していると確信しています。

 

社会的な評価と自分の評価、それは別個のものです。

このような形での自立もあること。

 

それを皆さんにお伝えできればと感じております。

 

ここまで私の半生を読んでいただいた皆様には感謝の言葉を献上したいと思います。

 

ご読了ありがとうございました。

これほどに有難いことが起こりうることに感激を込めて。