うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

プロフィール ほうじょうのあとさき

 

 

 

はじめに

 

私という移ろうものを紹介する、ほうじょうです。

 

今回は

 

私が何者なのか、

どうしてブログを書き始めようとしたのか

どういう目標を持っているのかを

改めて書き出していきたいと思います。

 

初めてこのブログを読む方や文章の作成者が何者なのかを知りたい方におすすめです。

 

現在の私

 

愛知大学哲学専攻を卒業しています。

しかし、大学在学中に就職先を決められずに現在就職浪人中です。

 

私としては本を自由に読む時間が増えて、願ったりかなったりなのです。

なのですが、両親の心労が半端ではないため、大学3年生の後半から就職活動を行っております。

 

そういうわけで大学時代は就職に積極的な理由は見いだせませんでしたが、現在は

 

「ライターになるために普通の企業を体験したい」

 

というとにかく企業に所属するということを体験したいという思いから就職活動をしています。

 

哲学科卒業生としての私

 

愛知大学哲学専攻では、多様な本を読む機会ができました。

その中でも強く影響を受けたのが、ベルクソンの思想です。

ベルクソンの思想は、私の考えていた

「植物にも生命がある」「コンクリートにも生命がある」

という考えを正しいものだと肯定してくれました。

(コンクリートにも意識が存在することを否定し切ることはできないという意味です)

 

そこで私は改めて日常における美を認識し始めました。

かつて小学生の頃、コンクリートに謝りながら、小学校に通った日のことを思い出しました。(その日一日でつらすぎてやめたのですが)

 

私は授業のテキストでベルクソンの『精神のエネルギー」を買いました。

あえて言うならば、『物質と記憶』や『創造的進化』のエッセンシャル版ともいえる書です。

 

そのため、『物質と記憶』本文よりも読みやすいものです。

ベルクソンに興味を持たれている方はぜひ読んでみてください。

 

この本はベルクソンの講義録でして、この本に強い影響を受けて私は今文章を書いています。

 

実はその時の講師の方に非常によくしていただき、その縁もあって、フランス現代思想に強く興味を持つことになりました。

 

それとは別に、倫理について非常に強い興味を持っていました。

特に極限状態における倫理を私は強く興味を持って、学びました。

 

ロッコ問題などを本気で考えました。

結論としては、そのような状況に追い詰められた時点で積み、です。

倫理的な正しさはそのような状況では意味をなさないという結論が出ました。

 

倫理とは状況によって変わるものであるという結論を私は得ました。

そして、倫理をマナーに拡大し、マナーもまた状況によって変わるものであると認識しました。

 

趣味人としての自分

 

ネット小説

 

私の思考は中学時代からずっと読んでいるネット小説によって構成されています。

「小説を読もう」というサイトや個人サイトなどでネット小説を読んでいました。

 

だいたい2007年ぐらいから読み始めています。

その時の「小説を読もう」は現在ほどファンタジー小説に溢れていたというわけではなく、様々な作品が同程度に評価されていました。

 

その中でも、現代ファンタジーものが特に気に入っています。

今は題名すらも忘れてしまったのですが、後の機会にサルベージしてブログで紹介したいと思います。

 

中学、高校時代は、むやみに長大な長編小説を読み通すことを趣味としていました。

300万文字を超えているものばかりを好んで読み、一作品を読み上げるのに1か月をかけるということもありました。

 

それぞれの小説の評価ポイントは様々でした。

しかし、そこで私はポイントの量を評価基準にはしませんでした。

 

「最後まで読み切れる作品は名作」ということだけを評価基準にしていました。

 

要するに、読みやすさは正義という意識をネット小説を読んでいて体得しました。

 

さらに、ネット小説は校正が甘いことが非常に多いため、誤字を気にしなくなりました。

ついでに脱字を発見する能力が非常に高くなりました。

 

そして、自分ならば、どのように校正するかを考えました。

 

さらに、自分も小説を書きたいという思いが非常に強くなりました。

そのため、勉強にも身が入るようになりました。

 

とにかく書いていくのですが、なかなか完成しません。

というわけで大学時代が終わってしまいました。

 

そのことは今でももうちょっとどうにかならなかったのかと思うこともあります。

というわけで書くこと自体には割と慣れていたほうなのです。

 

だから、初心者でもブログを毎日投稿できています。

 

フリーゲーム

 

フリーゲームにはまりました。

特にノベルゲームにはまり込みました。

 

今では題名すらも覚えていないのですが、何かものすごい感動をした覚えがあります。

ネット小説と並行して、ひたすら物語に触れていた記憶があります。

 

文章で生きていくという覚悟

 

ブログを開設したいと考えてから実行するのに、1年間かかりました。

ブログに関連するもろもろを調べるのに躊躇したためです。

 

ブログをどこで始めればいいのかが全くわからなかったからです。

わからないと完全に私は思考停止してしまいます。

 

それでもなんとかなったのは就職活動中にブログをやっている方と出会ったからです。

そのときに、とりあえずブログを始めよう、と踏ん切りが付きました。

 

始めたからには毎日投稿を継続したい、毎日、記事を書く練習をはじめました。

 

もしも、更新が止まってしまえば、私はきっとブログを更新できなくなります。

確信しています。

私はマグロか何かと同様の生態を持つ生き物です。

 

ついでに毎日投稿を継続することで就職活動にも身を入れることができると考えました。

就職活動をブログに記すことがモチベーションにつながると感じたためです。

就活記事も書いていくかもしれません。

(主に失敗談になります)

 

フリーライター宣言

 

私は将来フリーライターになりたいと考えています。

しかし、いったん一般の社会というものを体験してみたいという思いから企業に就職したいという思いがあります。

 

これは学生時代にはない気持ちでした。

あったかもしれませんが、自覚はしていませんでした。

 

一般企業とはどういうところなのだろう?

普通の人とはどういうことなんだろう?

 

そういうことを体験しに、私は企業に勤めたいと考えています。

 

まとめ

 

改めて、自分の構成要素を考えてみました。

すると、名前も忘れてしまったインターネットの小説たちが一番自分にとって大きな構成要素になっていることに気づきました。

 

読書といえば、読書だけど……という微妙な情報にばかり触れてきたわけです。

そんなある意味不確かなインターネット情報といううたかたのごときものをとらえられるようにしたいものです。

 

これからは可能な限り、自分が読んできたネット小説の題名を確認し、どこにどのように影響を受けたかを確認したいと思います。

 

ここまでの読了ありがとうございました。