うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

人生の意味 人生の意味を3つの視点から眺めよう

 

はじめに

 

形なきものをよりどころに形あるものが生まれると思う、ほうじょうです。

 

今回は

 

結局、人生って意味あるの?

宇宙レベルで見たら、人間なんてちっぽけなもんだよ

自分なんて社会で何の地位もないよ……

人生に意味なんてないんだ……

という方向けに記事を書きました。

 

今回の記事を読むことで人生の意味や無意味について整理することができます。

 

人生に対する3種類の視点

 

まずは、人生に意味ってあるのという疑問にお答えします。

 

私は3種類の視点を言います。

一つ目は宇宙レベルで見たら、そりゃ人生なんて限りなく無意味だよということと

二つ目は社会レベルで見たら、人生の意味がシビアに変化するということ

三つ目は個人レベルで見たら、人生ほど意味に満ちているものはないという

3種類の視点をこれから詳しく解説したいと思います。

 

宇宙レベルで人生を見る

 

宇宙は現在進行形で拡張し続けています。

人間なんて文字通り星の数ほどある星のなかの一つの惑星に住むにすぎません。

しかも、そこには別の生命体もいる。

そりゃあ人間の人生の意味なんて限りなく少なくなりますよ。

規模が違いますからね。

 

その中の一人の人生が宇宙になんか変化をもたらすか?

と問われれば、そりゃあほとんど変化なんてもたらさないさと

答えざるをえないでしょう。

 

しかし、「ほとんど」です。

「ほとんど」と「完全に」には、1と0ほどの差があります。

 

人生がどれだけ無意味に近くても

 

まず、原理的に人間の人生が宇宙レベルで無意味になることはできません。

なにせ人間が存在しているわけです。

 

宇宙におけるごくごく少数の微生物みたいなものでも、呼吸したりします。

呼吸は物質の構成を変化させます。

 

どれだけ小さなものでも変化していることは確かなのです。

 

それでも、人生は完全に無意味だとおっしゃる方は素粒子物理学者の方に怒られてください。

じゃあ、極小単位の研究をしている自分たちはどうなるんだ、と?

 

論理的に人生を完全に無意味だということは不可能なのです。

あなたの意図した人生の意味とは異なるでしょうが、それは次の社会レベルにおいて説明します。

 

社会レベルで人生を見る

 

社会レベルならば、あなたの人生は富・地位・名誉ではかられます。

社会レベルではそういう見方しかできません。

人はたくさんいますし、全員をちゃんとみようとすると途方も無い労力がかかるからです。

 

社会レベルで見る場合、人生はほとんど無意味な場合と意味がある場合に分けられます。

これによって問題は複雑になっています。

 

社会レベルで人生を見る場合、職業とか財産とかで全く人生の意味が変わります。

要するに、社会レベルでの人生の意味はレッテルによって成り立っています。

だから、複雑で難しいのです。

 

お前の人生は無意味だと罵られても

 

仮に、お前の人生は無意味だとレッテルを張られたとしても、レッテルとして人生の意味が存在します。

社会レベルで見る場合、無意味というレッテルがどれだけ屈辱的なものだとしても、そのレッテル自体が人生の意味です。

 

無職には無職としての社会的役割があります。

無意味というレッテルを張ったところで、人生を無意味にすることはできません。

所詮簡単に剥がれるレッテルです。

根本的に無意味にするほどの力はありません。

 

個人レベルで人生を見る

 

さて、宇宙レベルにおいても、社会レベルにおいても完全に人生が無意味になることはありません。

宇宙レベルの人生は呼吸する微生物ぐらいの意味です。

 

社会レベルの人生の意味は無意味とか意味があるとかのレッテルぐらいの意味です。

 

さて、個人レベルに視点を変えれば、人生はどのように見えるでしょうか?

 

まずはあなたの部屋を想像してみてください。

どれだけ少なくても最低限の寝具や照明などがあるでしょう。

たとえ、ミニマリストですらも完全にものから脱することはできません。

 

それでは、あなたの趣味や好きなこと、なければ嫌いなことを思い浮かべてください。

いろいろ思い浮かぶでしょう。

なんなら完全に無関係だと考えてもいいです。

感覚に入ってきてる時点で無関係であることは非常に難しいので、あなたが無関係だと考えていても、あなたはそれと関係しています。

 

そして、そういうふうに自分を囲う物事が個人レベルにおける人生の意味です。

 

意味に満ち満ちていますね。

意味だらけです。

ご飯とか服とか家とか仕事とか家族とか友達とかテレビやスマホやパソコンや本やサーフィンや自転車、趣味全般などなど

 

意味がないもののほうが少なくなります。

人生に意味なんてないと考えている方はきっと個人レベルで人生を考えるということに慣れていないのでしょう。

 

目の前のあなたの光景自体があなたの人生の意味です。

それをだれが無意味といえますか?

あなたですらもあなたの人生を無意味だということはできません。

 

視点を変えれば、意味は変わる

 

さて、今回は宇宙レベルと社会レベル、そして個人レベルでの人生の意味を考えてみました。

宇宙レベルならば、人生の意味は微生物程度の意味になります。

そして、社会レベルならば、富・地位・名誉で人生の意味が決められます。

この場合、必ずレッテル貼りが行われるため、人生が無意味であると言える可能性が生じます。

 

人生が無意味だと考えている方は社会レベルで人生を見ています。

そして、無意味というレッテル自体が人生の意味です。

そのレッテルがどれだけ屈辱的でも社会レベルの人生の意味なんです。

 

しかし、個人レベルならば、あなたですらもあなたの人生の意味を否定することはできません。

ありとあらゆる感じるもの・好きなものごと・使命などなど

それはあなたにとって重要な意味を持っています。

 

どの視点を持つかによって、人生の意味が変わってくることがお分かりになっていただけたと思います。

宇宙レベル、個人レベル、社会レベル。

それ以外にも、コミュニティーレベルや家族レベルなどなどいろいろな視点があります。

人生が無意味に感じるとき、きっとあなたは社会レベルや宇宙レベルで人生を見ています。

もっと個人的なレベルで人生を眺めましょう。

 

誰が何と言おうとあなただけはあなたの人生の意味を知っています。

あなたですらも否定できません。

人生には意味が充実してしまっていることに気づくことでしょう。

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

これからは本文のまとめに移ります。

 

宇宙レベルで見たら、人生なんて微生物の呼吸ぐらいの意味しかありません。

しかし、宇宙レベルで見ようと完全に無意味であることは論理的に不可能です。

 

社会レベルで見たら、人生はレッテルで意味付けされます。

しかし、どれだけ屈辱的なレッテルでもそれ自体が人生の意味です。

 

さらに、個人レベルで人生を見たら、意味のないもののほうが少ないです。

そして、あなたですらもあなたの人生の意味を否定することができません。

 

視点を変えるだけで人生に対する意味付けの仕方が全く変わってきます。

人生の意味を考える場合、視点が最も重要であると理解していただければ幸いです。

 

あなたの人生が意味で充実することを願っています。

 

読了ありがとうございました。