うたかたのあとさき

泡沫のごとく儚き想いを形に

クリスマス特集! 愛は有限かつ有償という話

 

 

ほうじょうです。

クリスマスなので愛のお話します。

 

今回は哲学とかではなくて、完全に個人的な宗教観のお話です。

しかも、よその宗教を批判します。

 

クリスマスにやることかと思いましたが、クリスマスだからこそやることだと思いました。

 

無償の愛に死ぬ人の多いこと多いこと。

日本にも即身仏や菩薩行をされている方がいらっしゃいます。

 

ですが、私はこれを批判します。

生きてください。

 

無償の愛って響きは非常にいいじゃないですか?

でも、これっていうほどいいことじゃないんです。

だって、その先にあるのは挫折か死だけなんですから。

 

 

 

愛は有償かつ有限

 

当たり前といえば当たり前ですが、あえて言います。

愛は有償かつ有限です。

 

私たちは人間である以前にヒトという動物です。

感謝の言葉は必要ですし、最低限の衣食住を保証する必要があります。

ゆえに私たちが生き物である限り論理的に無償の愛は実存することができません。

 

感謝もされず、施しも受けず。

その先にあるのは死のみです。

すなわち論理の破綻です。

 

無償の愛の先にあるのはdead or dead

 

無償の愛は論理的な破綻を迎えるか、さもなくば死ぬかという末路があります。

 

だから、あえて私は無償の愛を実存してはならない悪徳として糾弾します。

 

愛には感謝を持って返礼すべきですし、それがなければ心は病みます。

高潔な精神が肉欲に汚されます。

そんなのは宗教上でも悪徳といえるでしょう。

 

過ぎたるはなお及ばざるがごとし、です。

過ぎた善行は悪徳だとあえて言います。

 

そんな苦行に耐える姿は客観的には美しいものですが、

高潔な精神の持ち主の苦痛には想像して余りあるほどの悲しみを持ちます。

 

宗教がそんな高潔な精神の持ち主を抑圧するのならば、

そんなものは存在してはならないと思います。

 

愛とはあふれでるもの

 

愛は与えられただけ返すものです。

それ以上与えようとしても与えられません。

クリスマスにするプレゼント交換と同じです。

 

愛されるから愛する。

言葉の響きはよくありませんが、返答のない愛情ほど苦しいものはありません。

 

人を愛するというのは人に愛されてきたことの裏返しだと私は思います。

なので、身の丈を超えた愛を他人に注ぐことは借金と同じです。

 

どこかから持ってこないといけませんからね。

 

それはだいたい肉体を犠牲にするという結果を生み出します。

 

無償の愛に犠牲になった聖人たち

 

私は無償の愛によって死んだ人を数多く知っています。

まずはキリスト。

シモーヌ・ヴェイユ

そのほかにも無償の愛のために名もなきままに死した人々がいらっしゃいます。

 

数多くの人が自分の生命を他人に捧げました。

気持ちはわかります。

私だって、自分のした親切に対価をもらうのは苦痛を感じます。

 

ですが、対価をもらわなければ飢え死にします。

病気になります。

精神が侵されます。

 

そんなリスクを聖人と呼ばれうるほどにやさしい方々に負わせるのは非常にもったいないです。

 

だから、あえて私は聖人の生き方を批判します。

私は地獄の鬼として、または悪魔として無償の善行を批判します。

 

「あなたの善行には必ず対価があるべきだし、それは死後の世界においてではない」

 

私は善行に返礼を受ける行為まで合わせて善行だと考えます。

一方通行の善は独善です。

 

彼らには施した相手から施し返される義務があります。

そして、生きながらえる義務があります。

その義務を怠った点において私は彼らの高潔な精神が自己満足の一種であると批判します。

 

生き残ってください。

施しを与えたならば、施しを受け返してください。

心理的に苦痛なのはわかります。

それでも施しは受けて、生き残ってください。

 

それが私の望みです。

 

無償の愛に死なないでください。

I desire you are alive as long as possible.

です。

 

死なないで

 

今回の記事で一番言いたかったことは善行に善行を返されることを拒むのは

悪徳だということです。

その先にはゆるやかな自殺があります。

宗教上の殉職があります。

 

そんなゆるやかな自殺を私は看過しません。

私は誘惑の悪魔です。

生存を進める悪魔です。

 

堕落してください。

施しをしたら、施し返されるという自然な肉体の欲求に従ってください。

 

まとめ

 

クリスマスですねー!

他者のために十字架にかけられることを良しとした一人の男性の生誕を祝うお祭りです。

 

ただ、その姿は非常に美しいものですが、同時に悲しいものです。

そして、私を悲しませたんだから、悪徳です。

彼には生き残ってほしかったですねー……。

 

自己犠牲で死んでしまった方々にはその高潔な精神を称賛したいのです。

ですが、そんな美しい死よりもゆるやかな生のほうがもっと尊いと思います。

 

だから、死なないで。

自己犠牲なんかで死なないでください。

 

私はありとあらゆる宗教に帰依する可能性を捨てたものですので、

信仰を否定する権利は一切ありません。

 

だから、お願いです。

死なないでください。

 

私は悪魔として美しい殉教を批判し、ゆるやかな生存を誘惑します。

 

まあ、ここまでお話ししましたが、日本では単なるお祭りです。

皆様も特にキリスト教の意味とか考えずに楽しみましょう!


ご読了ありがとうございました!